TOHOウェンズデーで「ミッション インポッシブル/デッドレコニング part one」を見てきた、るなです。

 

感想を書きたいところですが、ネタバレになるのでやめておきます真顔

 

以前のブログで、富裕層になれたのは①投資をしたから、そして②収入が増えても生活レベルを変えなかったから、と書きました。

 

 

 

 

そもそも夫の前職はサラリーマン。確かに一般的なサラリーマンよりはお給料をもらっていたと思いますが、一般企業のサラリーマンなので高給といっても知れています。

 

私はフリーランスのため、収入に波波があります。といっても、一番良かったときでも年収600万円(税込)くらいなので、マネカテの優秀なワーキングママの皆さんと比べれば大した稼ぎではありません。今なんて年収300万円切ってますしね…

 

2人合わせた年収のピーク時でも、3,000万円を超えたことはないと思います(その時の為替換算で)。

 

また親からの支援はないですし、親を含む親族からの相続もなし。

 

夫は結婚時、30歳過ぎていたのに貯金ゼロ。私も結婚式代や引っ越しで使い果たし、微々たる額しかありませんでした。

 

ですので2人でカリフォルニアで結婚生活を始めたときは、貯金がほとんどない状態でした。

 

私は仕事を辞めてアメリカに来たため、当初は職なし。かつての職場や知り合いのツテで細々と仕事を始めました。在宅で仕事をしていたものの、乳児がいては仕事にならないので、息子も娘も小さい頃から預けていました。

 

ところがそのデイケア代が結構な金額で、「仕事をしないほうがいいのでは?」と悩んだこともあるくらいです。

 

何が言いたいかというと、結婚当初〜子どもたちの幼少期は、我が家は決して裕福ではなかったむしろ毎月ギリギリ、ということです。

 

投資を真剣に始めたのは、上の息子が小学校に入学した頃でしょうか。とある不動産投資セミナーに参加したのがきっかけでした。その頃に読んだロバート・キヨサキ氏の「金持ち父さん貧乏父さん」の影響もあったと思います。下のは改訂版です。ほかにもいろいろあるようです。

 

 

 

 

持ち家以外に家を3軒購入したことは以前も書きました。

 

 

それから夫は401Kへ入れる金額を増やし、私はIRAを始めました。

 

その後夫の収入は増え始めたものの、比例するように増えていったのが教育費です。

 

子どもたちの教育については夫婦の間でひとつ、これだけは諦めずに頑張ろうと決めていたことがあります。

 

日本語教育です。

 

私達親に万一何かあった場合、子どもたちは日本日本へ帰国することになります。そのときに日本語ができないと困りますし、祖父母ともきちんと日本語でコミュニケーションできるようになって欲しかった。

 

なので日本語教育には、時間もお金もかなり費やしています。

 

それなりに習い事もさせていたので、教育費以外でお金をどこに使うのか、優先順位を決める必要がありました。

 

…続きはまた明日。