つれづれなるままに… ~第12章~

つれづれなるままに… ~第12章~

『日々の生活の中で感じたこと』を、ゆったりまったりと書き綴っていきたいと思います。2023.12.1

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『心が強い』とはどういうことか。
 
心が強い人=心が弱い人の気持ちがわからない?
 
「できる人」にはできる人なりの言い分がある。
 
「隣の芝生はよく見える」わけで、自分にないものを欲しくなる。
 
人生は「選択」の連続。
 
たくさんの比較(情報・データ・見積り)は必要で、最後に決めるのは『自分』しかいない。
 
「自分」にしないと人のせいにするし、自分の決めたことに自信が持てなくなるし、「自分で決めたこと」だから、失敗も成功も納得して前に進める。責任が持てる。
 
失敗したら「自分」で修正して、もうひとつの選択肢に進めばよい。
 
自分が選ぶ道、自分でまた選びなおせばよい。
 
その時は、同じ轍は踏まないようにする。
 
結果は後からついてくる。
 
そうして人は成長していく。
 
このお母さんは、娘には「心が弱い人の気持ちがわかるようになってほしい」のか「上からものを言ってはなりません」と伝えたいのか。短所を指摘しているのか。
 
 
 
うちを例にたとえると、主人が「弱い人の気持ちがわからない人」です。
 
自己中心的。
 
自分に厳しく、他人にも厳しい。
 
だから、厳しすぎて周りがついていけない。
 
自分は努力してきた。
 
でも本当はどうなのかな。周りからはどう見えているのかな?
 
そう思ったら、そんな発言はしません。
 
『心が強い』とは思えない。
 
この9月に定年を迎えます。ただいま、有休消化中。
 
それまでは、「俺は仕事をしていて忙しいんだ」「君は暇なんだろ」「俺に仕事辞めろって言うのか」って、介護も子育てもその他もろもろ仕事を理由に私にやらせてきました。
 
私にしてみると、逃げているようにしか思えませんでした。
 
恫喝のようでした。
 
イライラしてコップなげつけたこともある。
 
これって「心が弱い(狭い)」よね?
 
自分を鼓舞しなければやっていけない。
 
「仕事辞められると困る」と思ったから、私はあきらめて介護してきましたが、実際仕事辞める勇気もなかったのだろうし、辞めたところで本当に(介護)やるのか?と思ってたところで義両親が亡くなってしまったので、私はその結果を見ることができませんでした。
 
7月になって、夫婦の立場が逆転したわけですが、今は何かをするにも、私が仕事を理由にできないことが多くなり、すると、またしても主人は怒り出すのです。
 
今度はなんで怒ってるのかと言うと、私が忙しくしているから。プライドが傷ついた瞬間が危ない。緊線に触れるってやつですね。今までもそうだった。
 
そうした時の私の気分転換は『宝塚』。
 
気分転換のために宝塚を観にいくと決まって言うことは、「自分ばっかり遊んで」なのです。
 
逆にとらえれば「趣味があっていいね」なんだけど、「家事を押し付けて、遊びに行ってる」としか思えないみたいで。肩身の狭い思いしています。
 
宝塚に使うお金は別会計だし、主人の働いたお金を使ってるわけではないので、でもそのことを口にされるのも気に入らないようで、何を言っても無駄なのが今まででした。
 
主人が定年を迎えて、状況が変わればまた違った視点も生まれるかと思ったけど、そう簡単には代われるわけもなく。
 
実際私が暇ではなかったことに気づいているようですが、素直に認めることはしません。それもプライドが邪魔してる。
 
で、仕事から疲れて帰ってきてるのに、やれ食事の支度ができてなかったり、どこかに出かけたくても都合が合わないとむくれる。できないことを私のせいにする。
 
行きたければ1人で行けばいいことだし、本当にやりたいことなら、1人でも行動しますよね。
 
でも、それをしないのは、「1人では行動できないのか」「私を連れていくことによって優位に立ちたいのか」、理由はいろいろあるのです。
 
そういう主人だけど、私は主人を非難することはしないし、「少しはこちらの気持ちにわかってくれたかしら?」「素直になれないくてかわいそうね」と・・・読んでいます。
 
さらには、「定年するって孤独になるのね(人と話す機会を失うから)」なんて私は思ってしまいます。
 
で…私は、自分が昼を食べるので、必ず主人の食事も用意しています。
 
すると、「俺は昼は食わないことにしたから」ってダイエットを理由にお昼食べないんです。
 
作って置いてあるのにですよ。
 
作らなきゃ作らないでどうするかはわかりませんが、作ってなきゃ作ってないで、またむくれると思うのです。
 
何をしてもむくれるなら、作って置けば、昼食べなきゃ夜食べればいい。そう思っています。
 
すると、私の態度が気に入らないのか、「ニート扱いしやがって」って。
 
私、「ニート」なんて言葉を口にしたことはありません。
 
偏屈になってるな。今までさんざん息子たちに「ニート!ニート!」って言ってたくせに。
 
自分がその立場に置かれたら怒りだすのですか?
 
このことについてはまた他にも理由があって、またの機会にしますが、ホント扱いにくい。
 
 

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最初の話に戻ると、
『心が強い』にはいろんなとらえかたがあると思います。

そこに「好き」が加わると、「心を強くする」「努力する気持ちを持たせる」って感じでしょうか。

自分は努力したつもりはなくても、結果がついてきて、悦びと成長につながることってあると思います。
 
私は道理を大切にする人なので、ある意味強情っぱりだけど、理由のないわがままは言わないと思っています。
 
『心が強いとは、自分で決めて、納得いくまで、繰り返し努力して、極められた(最後までやりとげられた)人』だと思いました。
 
『心が強い』っていうのはこういうことで、信念を持ち、周りの雰囲気を感じながら、自分の人生に生かせることで、「心が強くなるためには、打たれ強くなることなんだろうな」と思ったのでした。
 
「努力で心が鍛えられるものだな」と思いました。


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