朗読ユニット La Scalaのデビュー公演が20日から始まりますが
本日はそれに先駆けて全四話中の第一話を公開!
ちょっと長いですが…読んでみてください
第二ヴァイオリン
看護婦になって25年目の事でした。ロビーにそれは上品な老紳士が一人でお待ちになっていて、その場所だけがほんのり明るいというか、そんな風に見えるほど、彼は凛として、どちらかと言えば誰かの付き添いで来られているように私には見えました。お名前が呼ばれて、どこへ向かうか指示されたのを見ながら私は自分の担当の病棟へと戻りました。
それから一週間後の金曜日の朝の事でした。入院患者さんたちの様子を見回っていると、ある個室で、私は彼に会ったのです。思わず、あら?と言ってしまった私に、その紳士はにっこりと笑って、あらとは?とおっしゃいました。たっぷりと生えた髭は真っ白で、短く切った髪をきれいに後ろになでつけて、老人はじっと私を見ていました。
私は、何と言ったものかと迷いましたが、嘘をついても仕方ないと思い、一週間ほど前にロビーで見かけたこと、とても御病気には見えなかったこと、凛としたお姿がこの目に焼き付いていたことを話しました。彼は、とても優しく笑って、ありがとう、でも癌なんですよ。もうあと、みつきも生きてはいられないんです。とおっしゃいました。私は看護婦であることを忘れて、え?本当ですか?と聞いてしまいました。彼はもう一度、大きく笑って、そうは見えませんか、そうですか、それならよかった。よぼよぼと生き恥をさらすようにはここにいたくなかったので、とおっしゃいました。私は心から非礼を詫びて、個室を出ました。
心の奥ではまだ嘘なのではないか、からかわれたのではないかという思いが消えませんでした。そこで、ナースセンターに戻り、誰かに確認しようとすると、看護婦長に呼び止められました。婦長は、新しく入院してきた患者様の説明を私に詳しくお話になり、その方を担当するようにと言いました。それは、先ほど、私が病室を訪ねて驚いたあの老紳士でした。癌なのですか?と私が訊ねると、余命三ヶ月、身寄りがなく紹介で入院してこられたということでした。
何日目かの夕方の事でした。彼は、病室の窓の傍に立って落ちていく陽を眺めているようでした。普段なら、気にも留めなかったかもしれないその姿に私はなぜか、悲しいというか、悲哀のようなものをみて、足を止めました。どうされました?と私が声をかけると彼はこちらを振り返ることもなく、いやね、なに、昔、ずいぶん昔ね、これとよく似た夕焼けをフィレンツェで見たことがあったんですよ。と、おっしゃいました。分かり切ったことでしたが、私はどうしても、もう少し彼とお話がしたくて、イタリアの?と聞きました。
彼はほんの少しだけ黙って、うつむいて、そうイタリアのです。そのころまだ、私の隣には家内が座っててね。家内と二人、旅行に行ったんです。何年前かなぁ。初めてのヨーロッパでね。仕事仕事でどこにも連れてってやれなくてやっと出かけたのがフィレンツェでした。そうですか、と私は相槌を打ちました。その日の彼はとても雄弁でした。少し時間が空いた後、彼はベッドに腰かけて話をされました。アルノ川のほとりで二人で夕焼けを見ていたんです。川面が美しいオレンジ色でね、家内は黙ったまま下流を見ていました。その時、対岸に学生くらいの男の子が一人、ヴァイオリンを手にやってきて、ベンチの上に立って弾き始めたんです。つたない演奏でした。お世辞にも上手と言えないような。何度も何度も同じところでつっかえてね、それでも彼はやめなかった。つっかえては戻り、つっかえては戻り、それこそ二十遍ほども弾き直したころでしょうか、橋を渡って彼に近づいていく人影があったんです。
最初は下流に目をやっていた家内も、そのうち学生にくぎ付けになっていました。やがて、橋を渡った人物は彼の立つ場所のすぐ近くのベンチに腰掛けました。その時です。世の中には不思議なことっていうのがあるものですね、学生は初めて最初から最後まで一度もつっかえることなく弾き終えたんです。もちろん、そんなに上手じゃない。でも、途中から聞いていた人たちも、我々も、傍らに座った人物も、自然と拍手していました。家内は泣いていたのかもしれないなぁ。ハンケチでそっと目頭を抑えていました。そうすると、ベンチに座って拍手していたその人が立ち上がってゆっくりと学生の彼を抱きしめたんです。その時になって気が付いたんですが、抱きしめたその人も男でした。そして二人は長くその夕日の中でキスをしていたんです。私はね、恥ずかしい話ですが、驚きました。男同士でなんて思っていました。
でもね、家内はそれを見て、素敵ね、世の中はこうでなくちゃ、私たちの固い頭でたくさんの事を不自由にしてちゃいけないわね。そういいました。私はなんて答えていいかわからなかった。それでね、その時、学生が弾いてた曲を家内に教えてやったんです。弦楽器にはちょっとうるさくてね、私。それと、そのくらいしか言えることがなかったんです、私には。そしたらしばらく経って、家内が言ったんです。女でなきゃいけない、男でなきゃいけないなんてないのよ。本来、愛は愛し合う二人のためにあるの。って。
日が、暮れていくのが見えました。オレンジ色の夕焼けが、フィレンツェの町のオレンジ色の街頭に変っていくまで、私は家内と川面を見ていました。不思議ですねぇ。帰国して一年ほどたった頃、家内と別れたんです。いまね、この夕焼けを見ていて、あの日のフィレンツェを思い出したんですよ。あの時、何か違うことを答えていたら、いまここにはまだ家内がいたんじゃないかって、この年になって何かを後悔するなんてのは酷くみっともないことだし、それをあなたに聞いて頂くなんてどうかしてると思うんですけどね。すみません。
そこまで言うと老人は、そうさっきまで老紳士だったその人は、急に老人になってしまったように私には見えたのです、その老人はベッドに横になりました。私は西日のゆるくなった窓へ行き、カーテンをそっと閉めました。
彼にかける言葉が私には見当たりませんでした。何と答えればいいか、どんな言葉が相手の心に響くか。それはちょうど、老人が奥様に答えた、いえ、答えに窮していってしまった何かのように、いくつかの話題が浮かんでは消え、浮かんでは消え、結局、一つとして言葉にはならなかったのでした。
三日後でした。老人はなくなりました。どこかの大学の偉い先生だったようで、亡くなる二日前くらいから病室にはひっきりなしに学生や、同僚の先生や、ともすると代議士の先生まで訪ねてくるようになりました。そして、突然、何の前触れもなく、彼はなくなりました。
亡くなる前日に、彼は私にパガニーニの演奏を聴いてみたかった、とおっしゃいました。私はそれが誰だか知りません。もしかしたら最後の最後まで、わかれた奥様にかける言葉を探しておられたのかもしれません。彼がなくなった日の午後、病室に娘さんだという方がおいでになられました。凛とした顔つきの、その老人にほんの少し面影のある、美しい方でした。父はどんなことを入院中に話していましたか?と聞かれたので、わかれた奥様とお出かけになったフィレンツェの話をしておられましたよ、と伝えました。
それを聞くと彼女は、窓の方へ歩いて行って、夕焼けの話ですか?今ここから見えるような。と言われました。私は、そうです、こんな夕焼けだったと話をしてくださいましたよと、いいました。そうですか、と彼女は言って静かに涙を流し始めました。父は馬鹿なんです。あんな人、あんな人。とだけ言ってしばらく泣いておられました。
私は言葉をかけるのをやめて、窓の外に見えるオレンジ色の夕焼けと、行ったことのないフィレンツェの町と、想像の中で流れたパガニーニのヴァイオリンを想いました。
人生は、時々、言葉ではどうにもならないものにぶつかるものだといつも感じます。そんな時、景色や、音楽が人の心を助けてくれるんじゃないかと、私は思いました。
いかがでしたか?
あと三話、劇場で聴いてください
お待ちしています!!!!!
𝓛𝓪 𝓼𝓬𝓪𝓵𝓪
スカレッティーナ演劇研究所
プロデュース企画第ニ弾
朗読ユニット𝓛𝓪 𝓼𝓬𝓪𝓵𝓪
『カルテット』
作・演出・プロデュース
小西優司
出演
川合土土/子安由/竹田真季/三浦慶子
音楽
仲条幸一
衣装
さくまのぞみ
音響照明オペ
佐古達哉
劇場
東中野RAFT
日時
2020年
11月20日(金)
16:00/19:30
11月21日(土)
14:00/16:30/19:00
11月22日(日)
15:00
料金
¥3300
*お席は各回14席と致します
*コロナ対策、感染拡大防止して上演します
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小西優司によるオリジナル小説を
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あらすじ
今回は『弦楽四重奏』をテーマに、ヴァイオリンの物語が二本、ヴィオラとチェロの物語が一本ずつ、各10〜15分程度を上演します。各楽器の物語と最後に奏でる4人のハーモニーにもご期待下さい。