小さかったある夏の日のこと。




昼頃に、母親と、近所のコンビニに行った。


ちょうど、お昼のお弁当が入ってきて、


でも、店頭に並べられてなくて。





そこに、仕事の合間に買い物に来たらしい男性客が数人。


お弁当がなくて戸惑っているそのお客さんたちに、


母が、


「もうすぐ並ぶみたいですよ。」


って、自分から声をかけるのが、すごく嫌だった。





だから、欲しくもない花火コーナーを指差して、


「ねー、今度花火しようよ。ねー。」


って話しかけた。




何度話しかけても母は反応してくれないし、


また新たに入ってくるお客さんに、


「お弁当はもうすぐ並ぶらしいですよ」


って声をかけに行くし、


すごく恥ずかしくて、


何度も花火の話をした。



そしたら、


「うるさい!」って怒られた。










っていう出来事を思い出して。


この出来事の、何が嫌だったんだろう?


と思って。









別に、花火なんか欲しくなかった。


ただただ、母親が、お弁当がなくて困ってる人に、ドヤ顔で教えに行くのがすごく恥ずかしくて嫌だった。




と思ってたんだけど。


その本音を伝えられなかったことが、多分1番悲しかったんじゃないか、


と気づいた。







お母さんのドヤ顔が恥ずかしい。


お母さんが無知なのが恥ずかしい。


お母さんには、もっと『立派な大人』でいてほしかった。


お母さんが無知なのが、周りに知られるのがイヤだった。






お母さんはいつも忙しい忙しいばかりいうのもイヤだったし、


自分の方を見てくれないのもイヤだった。




でも、それ以上に、母を悲しませたくなくて、


本音が言えなかった。




結局、わたしは、わたしの気持ちを無視していた。


それが一番、悲しかったのかもしれない。