この前、友達がつぶやいてた。
高校生の息子さんの進路指導用紙、
まず最初に書いてあったのが、
『浪人はOKですか?』
だった、って。
わたし、自分を振り返ったとき、親とそういう話をしたことがないんだよなぁ。
小学校は、勉強については何も考えてなかった。
当時は宿題もほとんどなかったし、
授業を聞いてれば70~80点くらいは普通にとれた。
漢字だけは、書くのがすごく苦手で、
漢字テストで10点、とか平気でとってた。
親に勉強しろ、って言われるけど、
同じ漢字を10個も20個も書く意味が分からなくて、
木偏だけ10個書いて、次に旁だけ10個書いて・・・とかやってた。
どうやったら覚えられる、とか全然わからなくて、
テスト中にどうにも思い出せなくて机の中の教科書見たらクラスメートに見つかって、
帰りの会でさらし者にされたこともあった。
中学校に入って、友達の影響で塾に入った。
親はまだいいって言ったけど、
兄が入っていたし、
兄が「早いうちから入ったほうがいい」
って言ってくれたから、中1の頭から塾に通ってた。
地元ではスパルタで有名な塾だったけど、
やるべきことが明確な方がやりやすいわたしにとっては、
とても相性が良かった。
それでも中1はテキトーにやってたから、成績は中の上くらい。
中2になって、部活が部員不足で開店休業状態になったこともあって、
特にやることがないわたしは勉強に集中した。
そしたら、成績が上がった。
中3になって新入部員が入ったり顧問が変わったりしたことで、
部活が活発になって、
ちょっとまた成績が落ちた。
わたしが住んでるところは、
中学3年間の成績が入試に関係してくる、というシステムだったので、
内申点を総合すると、ギリギリ上の下、っていう感じになった。
でも、高校でも部活を続けたかったし、
わたしが行きたい高校は『上』の学校だった。
(第2希望の『中の上』の学校には入りたい部活がなかった。)
わたし、ちゃんとそのことを親に話していなかった気がする。
聞かれることもなかったし。
学校や塾からは、どこの高校にするかって聞かれたから、
『上』の高校にします、って答えたけど。
親には聞かれなかったし、
親に相談するっていう頭はなかったので、
たぶん、何も言ってなかった。
何も言ってこないから、親に言うってことを考えたこともなかった。
中3の3者面談で、担任に
「ちょっと難しくないか?」
って言われた。
そしたら突然、母親が、
「私もそう思っていたんです~~!!」
ってめっちゃしゃべり始めた。
わたしにしてみたら、
何も聞いて来ないし何も言ってこないから、
別に良いんだと思ってたのに。
同意を得たとばかりに生き生きとしゃべりだしたから、めっちゃ引いた。
っていうか、担任にじゃなくて、わたしに話せよ、って。
なんか、そこで完全に意固地になったよね。
もう、親とは話さず、担任にも「いいんです!!」って押し切って。
唯一、塾の先生は、
「お前なら、当日点でいける!大丈夫!!」
って言ってくれたけど。
滑り止めに私立高校を受けたけど、
それだって、
みんなが受けるから受けるもんだ、っていうくらいの軽い考えで受けた。
誰にも相談していない。
合格発表後に担任に、
「もし入るなら特待生で、って連絡が来た」
って言われたけど、
興味もなかった。
無事、第一志望の高校に入った。
高校は『上』レベル。
各中学校の、成績トップの子たちが集まる学校。
わたしはその高校に入った、というステータスが欲しかっただけだし、
高校でも部活ができればそれでよかった。
中1の時はそんなに成績が良かったわけじゃないから、
落ちこぼれたって気にならなかった。
でも母親が、異様に念を押してくるんだよね。
「あの学校はトップの子たちが集まるんだから、
ちょっとくらい順位が低くたって仕方ないんだからね!!」
みたいな。
トップとりたいとか、順位がどうとか興味なかったけど、
そんなに念を押されると、かえって、
「ああ、勉強することは期待されてないんだな」って思って、
勉強する気力をなくした。
(後から聞いた話。
兄も同じ高校で、入学後に順位が上がらなくてすごく落ち込んでて大変だったらしい。
だから、わたしに二の舞になってほしなかったらしいけど。
結局、わたし自身のことは何も見てないんだよね。)
かといって、部活だってすごくうまいわけでもなくて、
ずーっと、中途半端だったけど。
赤点だけはとらないようにしようかな、っていう程度に、
テスト直前にちょっと勉強してた。
進学校だったから、大学進学率ほぼ100%で。
地方の私大に進む子もほどんどいなくて、
国公立大か有名私大に入れなかったら浪人、っていう子がほとんどだったから、
そんなもんなんだなー、と思ってた。
あと、県外に出るっていう選択肢もなかった。
なんとなく、否定されるんだろうな、って思ってた。
ここでも、親に相談しようっていう頭はなかった。
ちょっと頑張れば、地元の旧帝大レベルの大学に行けたのかもしれないけど、
そこまで頑張る気力はなくて、もうちょっと下のレベルの国立大を志望した。
もともと、宗教にも興味があったけど、
医療にも興味があったんだよね
でも、看護師程度ならいっぱいいるし、
なるなら医者。
でも、医者は難しいから、別な道選ぼう。
とか、わけわからんこと考えてた。(笑)
そして、公務員になれば将来安泰じゃない?
っていうめちゃくちゃ安易な考えでいた。
大学に落ちて、当然のように浪人したけど、
ホントに浪人してよかったのか、とか、
親とは結局何も話していない。
あ、一度だけ。
姉の宗教問題のいざこざ最中に、
部活関係で進学しないのか?って聞かれたな。
的外れすぎて意味が分からなかったし、
その時は公務員になって将来安泰!!としか考えてなかったから、スルーしたけど。
その時は本気で、
公務員になって、産休・育休とって、定年まで働けばおっけー!
くらいにしか、将来を考えていなかった。
その程度の意識だったから、
結局、10年経たずに鬱になって辞めたよね。
こうやって振り返ると、
ホント、『将来』をちゃんと考えたことなかったんだな~。
一緒に考えたり、聞いてくれる人もいなかったから、
全部自分の頭の中で完結して、
自分の想像できる範囲以外はわからなかった。
35歳を過ぎてようやく、
色んな働き方があるんだと知った。
今もまだ、手探り状態。
でも、未来は明るく、可能性があるんだ、っていうことはなんとなくわかってきたから、
自分の道を改めて考えていきたいと思う。