小さい頃。

 

たぶん、小学校に上がる前、くらい?

 

 

 

家族で、温泉旅行に行った。

 

ルームキーで買い物ができるタイプの宿で、

 

よくわかってないまま、お土産を買ったりゲーセンで遊んだりしていた気がする。

 

 

 

 

 

帰り、清算する際に、わたしが使いすぎていたってことを言われて。

 

でも、そんなに使ったらダメだってことも、

 

どれくらい使っていいかってことも言われてなくて。

 

 

その後も、なんかうやむやに終わった気がする。

 

 

 

 

その時、わたしにはお金を使うことはなんとなくダメなんだ、という感覚だけが残った。

 

その後も、おこづかいは言えば言っただけもらえるシステムだったけど、

 

毎回、すごい悪い気がして遠慮しながら、ホントに必要最低限の金額だけをもらうようにしていた。

 

 

 

 

小学生の時、お使いを頼まれて、おつりをもらっていいと言われたときは、すごくうれしくて、

 

すごく安い品を選んで買うようになった。

 

 

 

 

社会人になって、職場のコーヒーを買う担当になったとき、

 

コーヒーの値段に差があること、

 

みんなが高いコーヒーを飲みたがることが本気で理解できなくて、

 

(当時はコーヒーも嫌悪してた。これも別記事だな。)

 

値段が高い方がおいしい、おいしいものを飲みたい、と思っているのが理解できなかった。

 

(当時の同僚のみなさんすみません。)

 

 

 

最近になってようやく、ちょっと高いもの、メーカーものの食べ物は確かにおいしいんだな、

 

ということが理解できるようになった。

 

 

 

 

 


 

 

小学生の頃、兄がよく、あれほしいこれほしいと言って、

 

ゲームボーイやPCエンジン(笑)を買ってもらってたけど、

 

(なぜかファミコンやスーファミじゃなかった)

 

親が文句言いつつ買っているように見えて、

 

『欲しいものをいえば親を困らせる』と思って、

 

わたしはおもちゃが欲しいといえなくなったし、

 

おもちゃを欲しいと思うことは悪いことだと思い込んだ。

 

何が欲しいかすら考えたことがなくて、

 

おさがりの壊れかけたおもちゃを使って、

 

分解して中身を観察するのが一番楽しかった。

 

 

 

 

クリスマスに、親がホワッツマイケル(古!)のぬいぐるみを枕元に置いてくれて、

 

 

それまで、クリスマス自体なかったからサンタなんていないって知ってたけど、

 

気をつかって喜んだフリをしてた。

 

 

 

そもそも、置くときに電気をつけたから起きちゃってたし(笑)

 

 

 

 

 

 

友達は可愛いキャラクターのついた文房具を持っていたけど、

 

『可愛い』『ほしい』というセンサーがぶっ壊れてたから、

 

可愛い文房具の意味が分からなかった。

 

機能重視!!とか思ってた。

 

 

 

20歳くらいから、今の旦那さんと付き合うようになって、

 

旦那さんはクマ好きで、プーさんとかリラックマとか、クマばっかり持ってたから、

 

一緒になってクマグッズを集めていた。

 

 

でも、よくよく考えたら、わたしクマ好きじゃないんだよな。

 

(今気づいた衝撃の事実。笑)

 

 

 

 

 

 

 

猫が好き、月が好き。

 

(ってことは、ホワッツマイケルもあながち間違ってなかったんだな。笑)

 

サンリオでいうと、バッドばつ丸が好き。

 

 

王道キャラはそんなに好きじゃない。

 

幽遊白書で言えば、蔵馬より飛影。

 

 

あ、目つきが悪いのが好きなのか?(笑)

 

 

 

スラムダンクは流川一択。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

お金の感覚はホントにひどい。

 

最初の職場はそこそこいい金額もらってたけど、

 

あればあるだけ使っちゃうし、

 

車壊れたりボイラー壊れたりして、

 

いつもギリギリ。

 

むしろちょっとマイナス。

 

 

 

 

社会人1年目、ボイラー壊れてお金が足りない、

 

でもボーナスまで待てば何とかなる、
 

ってなったら、カードでキャッシングしてボーナスまで間に合わせた。

 

 

 

そこで、親や旦那さん(当時まだ彼氏)に相談するっていう頭はなかった。

 

 

 

 

 

 

 

中学生の時、ズボンがなくなった。

 

服は小学生のときはいつもおさがりだったし、

 

服を買うような大きな金額(といっても2000円とか3000円とか)が欲しいといえなかった。

 

私服の時、自転車で転んでひざに穴が開いて、

 

唯一のズボンがなくなって。

 

そこから半年くらい、制服と学校ジャージで過ごした。

 

(そしてそのことがばれないように必死だったし、

 

親が気づくことはなかった。)

 

 

 

たしかその半年後くらいに、近所の雑貨店が倒産して、

 

在庫がめっちゃ安くなって。

 

衣料品も70~80%引きだったから、ズボンがようやく買えたんだった。

 

800円くらいだった気がする。

 

今はしまむらとかで普通に800円くらいで買えるのがすごいよね。

 

 

 

 

社会人になった後、仕事を鬱でやめて、旦那さんの家に転がり込んだ時、

 

収入がなくなったんだから、旦那さんに生活費をもらえばよかったのに。

 

「いくら必要なの?」ってきかれると、お金がないことを責められている気がして、

 

言えなかった。

 

結局、100万あった退職金は食費と生活費、浪費に消えて、

 

そこからパートで働いた。

 

 

 

 

今なら、別に責められてたわけじゃなくて、

 

冷静に必要な金額を計算すればいいだけだってわかるけど、

 

当時はお金のことは考えられなくて、

 

仕事してないことも後ろめたいし、

 

お金なくて自分に価値がないと思ってたし。

 

 

 

パートで月5万円もらえることで、

 

ようやく人間に戻れた気がした。

 

 

 

 

だから、子どもが生まれてまた収入がなくなったら、

 

また、人間以下の価値しかないと思った。

 

 

 

 

 

 

 

お金がない、人の役にも立たない私には何も価値がない。

 

 

 

 

 

 

 

 

子どもがいなかったらいなかったで、

 

パートしかしてなくて子どももいない主婦には価値がないと思ってたのにね。

 

 

 

 

 

 

 

 

今なら、子どもを産んだ直後なんだから、子どもを育てるだけでよかったんだと思うけど。

 

当時は、苦しくて、必死だった。

 

 

 

 

 

 

子どもがいながら何かできないか、と必死に探してた。

 

Yahoo!知恵袋に回答しまくって、人の役に立ってる気分になってた。

 

お得情報を集めるのが得意だったから、

 

子育てサロンで周りのママさんたちに、聞かれてもいないのに教えたりしてた。

 

 

はー、今思うとめっちゃうざい!!(笑)

 

 

 

 

 

その後も、仕事探したりなんだりで、

 

全然子どものこと見てなかったし、

 

子ども<<<<<<<自分<<<<<<<<<<お金

 

になってた。

 

わたし自身が、めっちゃ毒親だった。

 

 

 

 

 

 

お金の感覚は今でもひどいし、

 

子どもにも金銭教育が全然できないので、

 

一緒におこづかい帳をつけるところから始めようと思う。

 

 

 

気まぐれにラインも作ってみた。