「人を貶める=笑い」この等式は普通なの? | lummoxの長い1日

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駄文、散文、写真、絵日記…何を書くかわかりませんが、その日の気分で…

今回は「毒」カテゴリ。

間違ったことは書いていないつもりだけれど、読んで不快になる人も居るかもしれない。

 

表題の通り「人を貶める事で笑いをとろう」とする事に対する意見を書いているだけ。

 

毒づいた話が苦手な人は今回はさようなら。

(文頭はさほど毒づいていないので、今までみたいに長い改行は挿入していない)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

妻が「千鳥の鬼レンチャン」という番組をよく見ている。

 

なぜ見ているのかと聞くと「今どんな歌がはやっているのか、昔の歌でどんな歌が注目されているか」をこの番組でチェックしているのだそう。

 

私は基本的にこの手の(歌まねだとかカラオケの延長みたいな)番組には全く興味が無いので、いつもスルーしているのだけれど、今回はテレビから歌以外の「何か」(私には歌以上の雑音)が聞こえてきたので、一体何だろうと少しだけ耳を傾けてみた。

 

そしたら(誠に申し訳ないが、それがどなたか全く存じないけれど、妻曰く)「昔バンドのボーカルだった人」が歌っている姿を、千鳥とかまいたちの面々が揃って野次って嘲笑っている声だった。

 

その嘲笑う台詞が耳に届く度、誠に気分が悪い。

 

妻に「どうして、この人は嘲笑われているの?」と聞くと「一生懸命歌っているのが少し個性的な歌い方になったりしているからじゃない?」という。

そして「私もこの野次、嘲りが不快。我慢できない時は飛ばす」と。

 

番組自体に興味が無いので趣旨はよく分からないけれど、音程をとるのが難しい歌をどこまで歌えるかを競っているような番組?

簡単な歌から難しい歌まで10段階。それをどこまで歌いきれるかって事かな。

 

で、その笑われている人も少なくとも7段階までは歌えている。

って事は、それなりに音程を外さずうまく歌ってんじゃね?

「個性的な歌い方」って、他人の歌を歌うのだからみんなオリジナルとは違うだろう。カラオケだからオリジナル音程に忠実に歌うのだとしたら、どんな歌い方であれ、音程を外さず歌っている時点で笑うべきところは無かろう?

でなければ、他の人だって例えば中島みゆきさんの「糸」を歌って、音程がぴったり、歌も余裕で歌いきったとしても、「中島みゆきさんと声が違う」って笑うべきなんじゃないの?

でも、それは問題なくて、ちょっと個性的に歌ったら貶める?私には理解できない。

 

要は本人が歌っていない歌はすべて偽物だ。

確か、森進一さんが作曲家さんが作った歌を好き勝手に歌ったから歌うのを認めないとか喧嘩になっていた事があったよね。

 

つまり、本物とは「作詞、作曲、歌い手」が揃って初めて本物になる。

本人以外が歌っているならどれだけうまく歌ったところですべて偽物なので、その一部の人だけ笑う対象にするのは筋が違うでしょって事だ。まぁ、極論だけれどな。

 

音程も外れていないし、歌詞も間違いなく歌っているなら(カラオケの判定が間違いを指摘していない以上)何がそんなに嘲笑われるようなことなのだろう?

 

この貶める行為が番組的に「笑いの要素を入れる」という目的なのだろうか?

だとしたら、本当に情けない番組だと思う。

本当「もうテレビいらねーんじゃね?」という意見に賛同したくなる。

 

私は人を貶(おとし)める事が笑いになると思う人とは絶対に波長が合わない。

仲間内、気心の知れた中でお互いが納得していることにまで文句を言うつもりは無いけれど、少なくとも「人を貶める事が笑いにつながるから問題なし」とする番組を公共放送に流して良いものとは思わない。

 

そして、これが子供に見せても良い番組なのかも甚だ疑問。

人を貶めることが笑いにつながると思わせる番組を子供に見せるのは問題無いのだろうか。

 

そんな貶めるような言葉を聞いて「おもしろーい」と言う低俗極まりない幼稚な頭を持つ視聴者っていうのはそんなに多いのだろうか。

人を貶めて笑いをとろうとする番組を見て面白いと感じている阿呆が子供の親だとしたら、もし自分の子供が「太っている」とか「ヒョロヒョロしている」とか兎に角「ちょっと人と違う」って理由でいじめられてきても大笑いして「楽しいねぇ」「もっとやれやれ」「笑われるおまえが悪いんだよ」「おまえを笑うのは正しいことなんだよ」と言えるんだろうか。

よもや「他人は貶められても良いけれど、自分の身内には許せない」とかそんなことは言わないよな。

すごいね。そんな親に育てられる子供がかわいそうに思える。

 

うん、すごいと感心する。けれど私は受け入れたくないし、受け入れるつもりも無い。

YouTubeや昔見たテレビ(今もやっているかは知らん)で、通行人など一般客に対してドッキリと称するいたずらをする番組がある(あった)。

それに引っかかったら「あははは」と大笑いしてやり過ごすのが大人の対応かもしれない。でも私は絶対に怒る。大人の対応をする必要は無かろう。それの何が楽しいのか、なぜ私がそれに協力しなければならないのか。全く必然性を感じないからな。

迷惑行為をされて、それを「テレビの向こうんに何万人の視聴者が」とか「ただのいたずらですよ」とかそんなの関係ないね。

見も知らぬ人に「いたずらです」「テレビです」って言われたらそれが迷惑行為でなくなる…そんな魔法ある訳無いじゃん。

 

兎に角、私は人を貶めることが笑いにつながると認識する阿呆とは絶対に波長が合わない。

合っていると思われたくない。

 

これは自分の矜持でもある。

人様が他の意見を持っていようと関係なく、私はそれを是としたくない。いや、しない。