無事父の葬儀を終えた。
コロナの再流行ということもあり、ひっそりとした家族葬。
式に出たいという親戚も多くいたが、本家と話し合いの末、それらは丁重にお断りを本家から入れてもらった。
後からいろいろ恨み言も言われるだろうけれど…という本家の英断。尊重します。
小さいながらも「父は見栄っ張りだったからな」とか冗談めかした話も合わせながら、せめて祭壇は華やかにとか、来ていただく人には満足をしていただこうとなどとちょっと気張って用意した。
おかげで、父も納得の良い式になったと兄弟揃って自己満足。
あとは事後処理を残すのみだけれど、それは全て兄に丸投げ。
相続に関しても、争うような額でもなかろうとやはり兄にお任せ。
大きな会社の社長(友人の父)が亡くなったら、全く相続に関係のない「一族」が集まり、自分の利権を得ようと口を出して来て辟易とした話とか、家を飛び出しほぼ音信不通だった長子に変わり、親の面倒を見たり苦労をして来たのに、父が亡くなったら、どこから聞きつけたのか弁護士を連れて乗り込んで来て「当然の権利」と遺産をもぎ取って行った話など、まるでテレビドラマ?とでも言いたくなるような話を体験した友人が身近にいる。
どちらも大変だねーと思う。
私の田舎を見渡せば広がる田畑。
これらを相続するのも、一昔前なら「長男が後を継ぐから」の一言で、長男以外は適当な額の相続で納得させられるのが普通だったはず。しかし、今は「権利だから」の一言で農地を含む全ての財産を明示的に金額に換算して、権利に基づいた金額を支払わなければ、納得しない兄弟姉妹が台頭して来たとも聞く。
そのため、農業を続けられなくなるところもあるという。
本当かどうか知らんけど…
そんな遺産争いを目の当たりにしなくて済むことを考えたら「貧乏な(少なくとも裕福ではない)家に生まれて本当に良かったなぁ」と心から思う。負け惜しみじゃないんだからね。
この2ヶ月「父がいつ寿命を迎えるかわからないので予定が立てられません。とりあえずここに予定を入れておきますが、そのような理由で変更をお願いする場合がありますのでご了承ください」と言い続けて来た。が、それももう心配しなくて良い。
父が亡くなったのは悲しいことではあるが、ずっと施設に入り、アルツハイマーで5分前のことも覚えていない状態になって数年ともなると、悲しみもあるけれど「ようやく逝ってくれたか」という気持ちが強い…というと語弊があるかもしれないけれど、まぁ経験してみればわかるよとしか言えないのがもどかしいよね。
アルツハイマーで5分前のことを覚えていない。
もう息子の顔を認識できない。でも、時々思い出す。
そんな状態だった父が、ほぼ寝たきりになって、耳元で大きく呼びかけるとうっすら目を開け、呼びかけに頷いたりして答える。
それが言葉を理解しての返答なのか、ただの反射なのかすらわからない。
1日寝たきりでその間父は何を考えているのか、それとも考えていないのか。
もし、今の自分が24時間ただ目を瞑って、喧騒以外何もないところに放っておかれたらどうなるんだろう。耐えられないよな。
もしかして意識ははっきりしているのに、手も足も口も動かせず「何か刺激をくれ」と懇願しているのかもしれない。もしそうであれば、こんな状況に置いておく方がかわいそうだとも思えるけれど、それを確かめる術がない。
そんな状況が2ヶ月も続いたんだ。
父もそう願っていたということで、延命処置は行わなかった。
あくまでも看取り入院ということで、最低限の栄養を点滴で与えるだけ。
そんな父を見て、それでも長く生きてくれと思うのは、家族のエゴじゃね?と思っちゃうんだよ。
長く寝たきりの親を見ていると、ずっとそんな考えが頭を巡る。
うん、父ときちんと意思を疎通できる間はそんな不安はないんだよ。
意思が疎通できなくなると、全てが「自分のエゴ」での判断になってしまう。
そこから迷いが始まって、悩んで悩んで、最後に悲しみと共にホッとするんだよ。
「おやじ、やっと楽になれたな」ってな。
日本の法律では「死ぬ自由」がない。
患者が望むからと逝って、患者の命を断つ処置をすると、医者が殺人罪に問われてしまう。なので、もう助からない、治療方法のない、そしてとても苦しむ状態の患者は、ペインコントロールだけが心の拠り所。「こんな苦しみを続けても治る見込みがないのなら、早く殺してくれ」はただのわがままとされてしまう。理不尽だわね。
意思が疎通できなくなった時点で「死」と認定して欲しいという、基準を設けて欲しいという事も真剣に考えて欲しいなとちょっと思ったよ。
話がどんどん外れちゃったけれど、兎にも角にも父の葬儀が無事終わり、そして無事帰宅できた。これで自分の家族は一段落。
あとはマスオさんとしての義家族の心配のみ。
しばらくはこの経験が活きることがないことを願ってやまない。