病院の待ち時間/車椅子/イントネーション | lummoxの長い1日

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駄文、散文、写真、絵日記…何を書くかわかりませんが、その日の気分で…

昨実は完全に昼夜が逆転して「どうしよー」となっていたと書いた。

 

昼過ぎに寝て、18時過ぎに起床し、20時過ぎに朝食…アホの世界だ。

そう思いながら、(*1)寝ている間に世間様は日が沈み、真っ暗な中でドラキュラの様に起き出す。こんなのが良い訳がない。

そう思いつつ、ご飯を作り、自分としては日中のいろいろな作業をこなしていく。

そして25時を回って26時になろうかと言う頃にふと気が付いたんだ。

「今日は義父の病院通いの付き添いじゃないか!」ってね。

義父はあまり歩けない為、自分の車で病院まで送り、病院の車椅子で移動する。

 

実は、それ以外にも使えるかと車いすのレンタルを数か月前からしていたのだけれど、借りた時から季節は真冬に向かいどんどん寒くなっていく。車いすを押して「お義父さん、散歩など如何ですか」キラリなどと言える状況ではない。更にレンタルのカタログで車いすには車輪の大きなものと小さなものがある事を知った。その違いを聞くと、小さい方が軽量で取り回しが良いという。なのでそちらにしてもらったんだ。でも、借りてから全く使う機会がなくて、明日は病院に行くから車いすもデビューだね。だとしたらと空気圧を確認したら案の定しっかり抜けている。ならばと空気を入れようとしたら、うちの空気入れが使えない。

うちの空気入れは私が一応ロードにも乗る都合で、英式バルブにも仏式バルブにも対応できるものを使っている。

 

それが災いとなった。

英式バルブの場合は、バルブの後ろのピンを起こして固定する必要があるのだけれど、車いすのリム径が小さすぎて、ピンを起こす隙間がないのだ。つまり使えない。

 

どーしようー

 

いま、私にはまだ秘密兵器がある。

それはBromptonの装備品である携帯式空気入れだ。これなら…結果は同じだった。

全然使えないじゃん。

普通のママチャリ用空気入れだったら、洗濯ばさみの様にバルブを挟むだけで空気が入れられるはずなのに、ロード対応しかないためにこの仕打ちかよ…

義母と話し合って、季節柄もあって全然使わないし、もう車椅子は返却しちゃおうって事で完結。ちーん

 

昨日も書いたけれど、大学病院に行くと、待ち時間が異様に長い。

義父も私と同じで、朝一番に血液検査があって、それから診察の時間まで長く待つことになる。この待ち時間を短くしようと、家を出る時間を遅らせると、今度は駐車場入場待ち行列にも並ぶことになる為、車で行くならある程度早く行かなければならない。そして長時間駐車になるので、3,000円ほどの駐車料金を見込む。タクシーとどっちが良いか悩むところだよねぇ。

 

今回は自動車を出すことにした。

今からだと3時間眠れるかどうか…絶対に起きる自信がない。って事は今日も昼夜逆転か。仕方あるめぇ

 

って事で、7時半に病院に到着。8時前には採血が終わる。そして診察予約は9時半だけれど、案の定呼ばれたのは10時過ぎ。それが終わった後は別の科の受診が1つ。それで終われば良いのだけれど、その後は会計。クレジットで後払いを選択しているので、支払いの待ち行列には並ぶ必要はなく、後払い専用優先受付を利用できるのは便利なのだけれど、義父の場合はアルツハイマーを患っての受診なので難病指定の記録をしてもらわなければならず、それで10分以上、さらにそこから薬の受け取りで下手すると1時間待ちとなる。もう勘弁してほしいですよ。

7時15分に家を出て、帰宅が12時15分。そして採血と2科受診に掛った時間は長く見積もっても30分。4時間30分は待ち行列でのキューイングだ。当然ながら同じように待っている人たちも同じようにイライラしているかは兎も角長い待ち時間を耐え忍んでいるのだから、自分たちだけ特別に速くしてくれとは言わないけれど、なぜ大学病院にこうもたくさんの患者さんがいるのか本当不思議だよ。

 

そう言えば、石川に赴任してすぐに、同僚が交通事故にあった。赴任したばかりなのでどこの病院に掛れば良いのか分からない状態で、色々な人のアドバイスから、ある大きな病院に電話をかけて相談したところ、「皆様の為の病院です。そんな時にこそお役に立つのが私たちですから、どうぞ安心してお越しください」と言われたので予約をして伺った。

同僚は歩行中に車にぶつけられはしたのだけれど、骨折をしたわけでもなかった。そんな状況なのにこんな地域のトップの病院に来ても大丈夫なのか?そんな心配していたけれど、そう言われて安心して行ったんだけれど、若いお医者さんが、同僚の症状を見るなり「うちの病院はいつからこういう患者さんを診るようになったのかな?」と嘆くように言ってきた。ので、私も「そう思うからこそ、電話で伺って良いのか確認したら、そちらからどうぞお越しくださいと言ってきたから来たんだよ?」と言ったら、「小さなものは町医者で、そこで扱えないものを総合病院で、それでもだめなものがうちに回ってくる。そういう仕組みだと認識してるんだけれど、うちの中にそれを理解できていない奴がいるって事だね。それは誰なんだ?」と言うから「そんなの私の知った事ではないよね」と突っぱねるしかなかった。

喧嘩をしている訳じゃない。そのお医者さんも私も認識は一緒なんだ。

複雑骨折をして骨が外に飛び出して、元に戻るか分からない。

難病にかかって、町医者では対処ができない。

そんな症状の場合、うちではどうにもできないのでよろしく…そういう立場の医者に飛び込む必要のある症状じゃないっていうのは私でも分かっていた。でも、「来てください」って言われたから来たんだよ。

そのお医者さんの憤慨とても良く理解できた。

そして、その病院にはその一回しか行かなかったんだけれど、保険屋さんから文句が来たよ。

そんなに病院を変えられては困りますってね。うちだって変えたくはないけれど、振り回されているんだよ!困るなら良い医者紹介しろよ。そう言うと、「うちから紹介することは禁止されています」って。わかっているよ。だったら黙ってなよ。そういうしかないよね。ま、お互いがお互いの立場ってものがあるって事さね。

 

兎にも角にもその一連を思い出すんだけれど、果たしてこの大学病院にはそういう気概があるのかな?

なにか老人とか集めて「経営」をしているように思えてならない。既に血糖値が普通に戻っている私も含めて本当にここに掛り続ける意味あるのかな。町医者でも対応できるレベルの人を全て町医者に戻したら、この病院も漸く予約時間の意味が文字通り予約時間として機能するんじゃないだろうか。私立大学の附属病院だから、儲けも必要だし、研究対象となる患者も必要だし、患者の絶対数は必要だというのかもしれないけれど、それは本当に「大学病院の意義」と合致しているのかな…

 

これだけ長い時間待たされるとね、本当に疲弊するんですよ。

私も、もう糖尿病は6か月に一度の検診となっている。これは町医者でも良いような気がするんだけれど、前回さりげなくそう聞いてみたら、入院した時の値が値だっただけに、もう少し観察が必要と一蹴された。そう思われているなら仕方あるめぇ。そして昨日受診した消化器内科では肝臓の値が少し思わしくないそうで、3か月後の検査結果次第では次の治療ステージに移行するようで、こちらも町医者ではなく大学病院で堂園どうぞの(*2)レベルなのだそうだ。

義父も難病指定を貰ってしまっているから大学病院に通う立派な理由になってしまっている。

私の場合は薬を貰う訳でもないし、難病指定の記載もないので後払いクレジットで受け付けて数秒で「ではお大事に」と解放されるのでそこまでのストレスはない。昨日バスと電車を乗り継ぐことを覚えたので、駐車料金に嘆く事もなく、手軽に通えるようになった。

義父の付き添いの時だけ、数か月に1度は我慢しなければと諦めるしかないのか。

 

私も20年ほど前に病院向けカルテ管理システムを作ったことがあるので、病院で医者が一生懸命パソコンに向かって打ち込んでいる画面に一緒に見入っている。根本的な画面は似たようになるものなんだな。

このシステムを使ってカルテを共有できるし、予約も入れられるし、いろいろできるようになっている。これだけのシステムを使っているのに、なぜ予約だけがこれほどいい加減なんだろうね。

って言うか、1人の医者が1時間で診る事の出来る患者の数には限界があるし、ある程度予測も付けられるはずなのに、なぜその幅を超えた予約を入れるのだろうか。

これが、何かしらの製造機械だとか、会議室予約のシステムだとしたら、予定が詰まっているのでこれ以上の予約は受け付けられませんと一定数以上は拒否される仕組みになるはずだ。

この辺りの改善は医者の労働環境改善にもつながるはずなので、もっと力を入れるべきだと思うんだけれどねぇ。

まぁ、見て欲しがる患者がたくさんいるから詰め込まざるを得ないのだろうけれど、いろいろ見直すべきなんじゃないかなぁ。

 

…そんな風に待ち時間に対して辟易とし、憤慨して帰ってきて、そして昼過ぎから夕方まで爆睡したよ。

 

で、起きてから食事を作ったんだけれど、最近、料理中などは音楽を聴くより、漫画動画などを流していることが多い。

理由は

  • 画面を見ている必要がない。
  • 音が出ていれば良い。
  • いつどこで切っても良い。
  • あまりストーリーが気にならない(失礼)。

同じものが何度かかっても「鳴っていれば良いや」程度の気持ちで聴いているのが本音。

音楽より、誰かが何かを話している方が聴いていて負担にならない感じがするんだ。

音楽だと、自分の好み(聞きやすい)なら問題ないけれど、ランダムにか(*3)けていると、どうしても苦手(聞くのが苦痛)な分野もか(*3)かる事がある。それが面倒なのだ。半面、言葉なら好きも嫌いもなかろうという事だ。

 

が、最近思うのは、なぜアナウンサーは所謂「標準語」を話すのかと言う事だ。

地方の番組では地方の方言を普通に話す番組もあるだろう。けれど、アナウンサーは標準語としての言い回し、アクセントを厳しく教育される。

なんでそんな面倒なことを…そう思っていたんだけれど、この漫画動画を聞いていると、イントネーションの違いがすごく耳につくことがある。

ほんの1語のアクセントが違うだけで耳につく。

多分、それはその話し手の地域では普通のアクセントなのかもしれないけれど…

別に標準語が絶対とか、正しいとか言うつもりはない。

大体が、薩摩や長州や土佐が集まって成し遂げた明治維新。それらの藩が中心となって明治政府を作って近代となったはずなのに、なぜ標準語はそれらの地域の言葉と違っているのだろう。

 

別に方言で話す事を嫌っている訳じゃないんだけれど、なんでこういう時のイントネーションの違いが耳につくのか、自分でも不思議だ。

でも、アナウンサーがイントネーションを強制させられるのは、そういう「耳につく」を極力なくそうとしての事なんだなと妙に納得できた(実際は違うかもしれないけれど)。

 

そこから派生して、例えばカラオケで歌がうまい(高い点数をとれる人)って、リズム感がある、きちんと音程がとれるっていうのは基本なんだろうけれど、それ以外にきちんと発音(声)できるっていうのもあるのかな。

どんなにリズム感があって、どんなに正しい音程を出すことができても、モゴモゴ話すように歌っていたら良い点数は出ないだろう。

逆に多少リズム感がなくても、音程が狂っても、きちんと発生できる(マイクに向かって空気を震わせることができる)人はそれなりの点数をとれるように思う(飽くまでも想像)。

カラオケではなく、人との会話でも、普通に話しているつもりでも「何をモゴモゴ言っているんだ!」と言われる人と、はっきり言っていることが伝わる人では印象が変わってくるだろう。

イントネーションを正しくと言うのもある程度は大切だけれど、モゴモゴしないっていうのも大切だよね。

 

最近、ちょっとお付き合いでネットラジオの番組も出ているのだけれど、早口で話さない/独りよがりな話をしないなどの基本的な事の他に、そんな事も大切なんだなと改めて思ったよ。何事もやり始めると奥が深いね。

 

*1:2022/01/13 14:00 冗長削除

*2:2022/01/13 14:03 誤字修正

*3:2020/01/13 17:55 誤字修正