子供が産まれたら同じ学年だ!とウキウキしているのですが(∩´∀`∩)
昨日LINEのやりとりをしていて、今友人ちゃんの赤ちゃんの大きさは7cmで頭も手足もできてたって。あたしは14mmでまだ頭...かなぁ?ぐらい。2週間でそんな育つんだねー!って、お互いニコニコしてたと思う笑
それで、少し前に友人ちゃんとクアトロやオスカーの話をしていたのですが、友人ちゃんはもう11週目。オスカーの検査ができる週。
やるのか聞いてみたら、
「旦那さんと相談して、検査はしないことにしたんだ。障害があっても育てようってなって、性別も聞かないことにした!」と。
あたしは驚いた。
友人ちゃんはあたしのひとつ下で、高齢出産じゃないから確率も低いというのもあると思うけど
あたしはいまから障害のことを怖がっているので、検査をしない!という選択をした友人ちゃんはすごいなぁと。
障害があっても育てると...
ここからはとても、卑屈な話。嫌なあたしです。
一番最初に出てきた感情は、「すごい!(;´Д`)」
その次に
「だったらもし検査して、障害があるの知った時に同じこと言えるの?」
でした。
もちろん検査するしないは自由です。当たり前です。
そして障害を持った子が産まれてもたくさんたくさん愛をあげて、育ててる方もいーっぱいいます。
あたしの母がそうでした。
あたしの姉は障害を持っていたので。脳はしっかりしてたのですが、体半分の皮膚がとても薄く、血管が透けて見えていた。日が出てる時は日傘をさすか、外に出ない。出れない。
でも姉がいたことで、あたしは苦労してません。
それでもあたしは障害をもってるというのをわかってて、産むことは出来ない。度合いにもよるんですけどね(;´Д`)
あたしが死んだ後も生きていくはずの命を、障害があっても育てる!と簡単に決断できない。
友人ちゃんは強いんだな、という憧れの気持ちと、それ本気で言ってる?軽く考えてない?の気持ちが混ざって、ぐちゃぐちゃ。
でも決めたのは友人ちゃん。
産む産まないにもたくさんの理由がある。
あたしは、こう。友人ちゃんは、そう。
てことですよね(;´Д`)
母は強し!というし、友人ちゃんはふにゃふにゃーな子なんですが、そういう子ほど頼もしく、強くなりそう!
お互い無事に赤ちゃん産まれるといいな。
ほんとに、今はそれだけです。。。