帰りのスワンナプーム空港にて。
今回の旅で思い出したことが。
それは、望む現実を生きるのには
そもそも意図すらいらないということ。
前から、こうなる!と決める、とか意図するっていうのが実感として何となくわからなかったんです。
たとえば何か決まった時間に間に合わせなきゃ!みたいなときに、「間に合うと決めて」今をゆったりした気分でいれば大丈夫、みたいな。
実際、そうすると間に合ったりするし、「今ここ」もゆったりとした気分を選べているのですが、
なんかちょっと遠回りというかめんどくさくね?っていう声が内側からいつも聞こえてくる…
その「遠回り感」がなんだったのかがわかりました。
体の感覚でベストタイミングに到着したスパでの
ウェルカムドリンク&フード
それは、「意図」も結局のところ、
思考で外側をコントロールしようと試みているから。
そもそも意図すらしなくても
私たちは完璧な現実を作れているし、
受け取っているんです。
ただそれを「完璧である」と認識できていないのは思考だけ。頭でジャッジして、頭で「違う」「やばい」と感じてるだけ。
ジャッジをなくそう、とよく言うのは
素晴らしい現実を作るためではなく、
すでに作られている素晴らしい現実の完璧さに気づくためであり、
これからも受け取り続けていく完璧な現実を「完璧である」と認識できるようにするため。
最初のタイ旅で生じた「カオニャオマムアン」を食べたい!
という願いがなぜかスパで無料で叶う🤣
体なのか魂なのかはよくわかりませんが、
私のコアな部分はいつだって、現実や肉体や精神にどんなことが起きていても
静かで穏やかで、大丈夫であり続けています。
たぶんこの様子だと、死ぬ時も死んだ後も
本当に、どんなときでも
「大丈夫」なんだと思います。
それはそこにジャッジがないから。
そして、ジャッジがない中で、最高の現実を創って受け取っているとちゃんと知っているから。
その視点を思い出せればいいだけだし、
みんな本当は深いところで知ってる。
ただ使ってないだけ。
この視点で過ごしていると、
不思議と「思考にとっても」都合のいい流れがやってくるんですよね。
私たちは良い流れを作ろうと頭でどうこうする必要はない。
すでにもう、その中にいるのだから。
あとはそこに気づくことを選ぶか、
気づかないことを選ぶかの
楽しみ方の違いしかない!
次はゆっくり滞在しよう!
そして、きっとそうなるんだろうと思います。
それが「次」でなくとも私はいつでも大丈夫🙌
気持ちの良いタイ旅でした🇹🇭
連れ出してくれた推し達に感謝!
送り出してくれた家族にも感謝!
さて、これからの完璧な日常も楽しみです♪



