ただいつもそこにある、あり続ける「意識」が
わたしの本質である。

しかし、ひとたびわたし、と呼べば
その瞬間分離してしまう。

呼ぶということは、表現しようとすること。
それは、認識を伴う。

認識した時点でそれは「分離」する。
なぜなら、分離させないと認識できないから。

光は自らを照らすことはできない。
鏡は自らを映すことはできない。

それと同じで、
意識も自らを意識することはできない。

意識した、と感じた時点で、
それは思考となり、「概念」となる。

概念、は意識の一部ではあるが
意識そのものではない。
つまり、わたしそのものの姿ではない。

ただし、この文章をただ書いている私は
意識の中にあり、
意識と完全に一体化している。

意識とは、わたしとは、
今までもこれからも、常に「ここ」にあるもの。

理性で理解した瞬間に、
それは理解ではなくなり
理解を手放し、捉えようとすることをやめた時
完全に一体となる。

所有しないことが、得ることであるという
宇宙のパラドックス。

意識は誠に穏やかで静かである。

現実が、思考が、感情が、感覚が、
体験するすべてのことがどんな状態であろうと

真のわたしは、常に静かで安らかで
やや無頓着なところもある。
その中ですべてが起こり過ぎてゆく。

すべての場であるわたしとして生きよう。