※このブログでは闘病・葬儀についての記載があります※
※苦手な方は閲覧注意です※
父は7年前、大腸がんを患いました。
7年前に発症、というよりは
恐らくもっと前から患っていたと思います。
長距離トラックの運転手をしており、
慢性的な運動不足や、
座りっぱなしという環境、
不規則な生活、
外食続きで寝酒もする。
思うところは色々あります。
そして、今だからこそ思うのは
色々と「我慢してきた」からこそ
体に表れたのではないかと思います。
母には八つ当たりするかのような
暴言のような言葉だったり、
自由な振る舞いをしてきましたが
根本的には責任感も強く、
子供を育てる父親としての役割は
しっかり果たしてくれていましたし
任された仕事は責任をもってこなしていました。
人見知りな一面もあって、
言いたい事を言えない性格ではあったのかなと
子供ながらには思っています。
そんな父は先月6月に亡くなりました。
7年間、手術や入院を繰り返し、
がんという病気によって苦しめられてきました。
今年も手術の予定があったのですが、
もう手術はしたくない、治療はしなくていいと、
母とも話し合い父が決めたのでした。
どんな想いで決断したのか、
その想いは聞けていません。
手術が辛かったのか、
治療が辛かったのか、
余生を自宅で過ごしたかったのか…。
父は余生を自宅で過ごすことを希望し、
母が介護をする日々でした。
父も母も私に気を遣ってか、
そこまで近況を教えてくれず
「こっちはいいから自分の生活しっかりしな」
というスタンスでした。
なので、私が父に会いにいくようになったのは
本当に6月に入ってから、
亡くなる2週間前くらいから。
5月もちょこちょこ実家に行ったり
LINEしたりはしていたものの、
「お別れが来る」というのは
全然意識していませんでした。
意識していなかったというか、
頭ではわかっていたものの
希望的観測で過ごしていたのだと思います。
お父さんが死ぬはずない、って。
緩和ケアという選択は、
病気があるのに治療をしない、ということ。
私はなんとなく意味は理解していましたが、
本当の意味で理解はできていなかったのでした。
父の場合は父が自分で決めた事。
でも、その点滴を取ったら
死んでしまうってわかっているのに
それを取る選択がどんなに辛いのか、
体験してみてようやくわかりました。
せめて苦しまずに逝って欲しいと
願っていたはずなのに、
いざその心臓が止まり
呼吸が止まった時、
母は人工呼吸と心臓マッサージをしていました。
頭で理解していても
心が追いつくのはもっとあとなんです。
闘病も入院も介護も緩和ケアも
実際に身近な人が体験したり
自分が体験して、ようやく知ることができることです。
闘病生活は辛いよね、
介護って大変だよね、
緩和ケアも一つの選択だよね、
これらは全部、
体験せずに言えることではないのだと
体験してみて知りました。
ずっと前から覚悟していたつもりだけど
覚悟なんてそんな簡単にできるものじゃないし
亡くなったあとに父の愛情を知ったときの
やるせなさに今でも押しつぶされそうになります。
もしも闘病中の方で、
緩和ケアを希望される方がいたら
たくさん話し合ってください。
本人も周囲も本音で話し合ってください。
私は本音で話し合えなかったことが
今でも心残りです。
でも、
父が大切に育ててくれた「私」自身を
もっと大切にして生きて行こうと思います。
お父さん、ありがとう。
またね。
最後まで読んでくださり
ありがとうございました。