先日、ひどい渋滞にまきこまれました。

 

”不発弾の撤去作業”

だったそうです。

 

むすめに不発弾ってなに?

って聞かれたので

簡単に説明し

 

80年前は

ここにも火の雨が

降ったのかと思うと

シンジラレない不安不安不安

 

ウクライナで紛争がはじまり

しばらくたったころ

 

夫の実家にウクライナ人の女性がやってきました。

 

今でも世界のどこかでは

火の雨が降っていて、

わたしたちが生きる

 

”あたりまえ”の世界は

誰かの”あたりまえじゃない”世界。

 

あたりまえの毎日こそ大切だよね。

 

というはなしをしながら

井村和清さんの詩を

思い出しました。

 

【あたりまえ】

 

あたりまえ こんなすばらしいことを、
みんなはなぜよろこばないのでしょう 
あたりまえであることを
お父さんがいる、お母さんがいる
手が二本あって、足が二本ある
行きたいところへ自分で歩いていける
手をのばせばなんでもとれる
音がきこえて声がでる
こんなしあわせなことがあるのでしょうか
しかし、だれもそれをよろこばない

あたりまえだ、と笑ってすます。
食事がたべられる
夜になるとちゃんと眠れ、そして又朝がくる
空気を胸いっぱいにすえる
笑える、泣ける、叫ぶこともできる
走りまわれる
みんなあたりまえのこと
こんなすばらしいことを、
みんなは決してよろこばない
そのありがたさを知っているのは、
それを失った人たちだけ なぜでしょう あたりまえ   

 

『飛鳥へ そしてまだ見ぬ子へ』より井村和清著

 

イギリス人は寄付や募金をあたりまえと思うそうです。

なぜなら、自分たちはたまたまこっち側(サポートする側)に

生まれてきただけだから。

 

たまたま日本に生まれ、

昨日、なんの心配もなくベッドで眠り

朝、あたりまえのように目覚めて朝食を食べる。

 

そんな日常が特別に感じますね。