【コノハヤサクヤヒメ~本当に大切なものを心から愛しんで ⑩/36】

 

美しいとされるコノハヤサクヤヒメと

醜いとされるイワナガヒメは一体です。

 

人はみな水面に写った自分を見ているのです。

 

足らずを見れば、不満が生じ、

足るを見れば、感謝が生じる。

 

結局、自分を覗いているのです。

 

本当に大切なものは何かと考え、

愛ある人生を歩いてください。

 

(OKAMICARDより一部抜粋)

 

 

神話によれば、

イワナガヒメとコノハヤサクヤヒメは、オオヤマツミノカミの娘。

姉妹共に、ニニギノミコトへ嫁がせようとしますが、

姉のイワナガヒメを醜いという理由で、

ニニギノミコトは結婚を断ります。

父であるオオヤマツミノカミは、

イワナガヒメも嫁がせたのは、天孫の寿命が

岩のように永遠のものであるようにという誓約であったと立腹します。

そのことが原因で、人は永遠を生きることができなくなり、

花のように寿命ができたと言い伝えられています。

 

この話は、見た目だけで判断をして、

イワナガヒメの持つ本質まで、見つめることがなかったということなのでしょう。

 

本質を知る努力は、慈愛だと思います。

その存在を、慈しむこと。

 

それは他人に対してだけでは、これもまた片手落ち。

まず自分そのものを慈しむことから始めれば、

歪みなく、自然に、他者への慈しみが生まれます。

 

受け入れるか?受け入れないか?ということは次の段階の話で、

まず一見した片鱗のみで、決めつけて判断するのではなく、

そのもの全体を包むように見つめて、本質を感じてみること。

 

それには、エネルギーが必要です。

 

そのエネルギーをかけることが

「愛」だと感じます。

 

それを自分へ向けてあげる時には、

内なる小さな子供心への癒し

インナーチャイルドの癒しとなるでしょう。

 

人が人生の中で、普遍的に大切にしたいことは、

実は、

この「愛」なのではないでしょうか?

 

 

去年、偶然、筑波山中の「月水石神社」に辿り着きました。

途中、イノシシの鳴き声を聞いた程の山中に、

ひっそりとイワナガヒメがお祀りされていました。

同行した人は、気味が悪い感じと言っていましたが、

私はその場所で、イワナガヒメが待っていらした気がして、暫し佇みました。

 

 
 
後から調べてみると、日本でも数少ない、

イワナガヒメのみをお祀りしている神社だったのです。

 

コノハナサクヤヒメをお祀りする神社は数多くあるのに、

それも対照的と思いました。

 

その数週間後、富士山五合目を訪れました。

 

オオヤマツミノカミ、イワナガヒメ、コノハナサクヤヒメ

それぞれの御神気を感じながら、富士山山頂を眺めていると、

オオヤマツミノカミは、娘たちそれぞれの個性を

在りのままに愛していらしゃったのだなと感じました。

 

そして私達人間の中にある、陰と陽も、

在りのままに慈しんでくれているとも感じたのです。

 

富士の裾野のように広く、

高き視点から見つめて頂いた時、

きっと人は愛に包まれていることを知るのでしょう。

 

 

Follow Me!  →  lumieremila
 

 

リュミエールの全てのメニューはこちら

https://light-theapy-lumiere.amebaownd.com/pages/1642725/page_201802081342

 

 

3/8 ヒーリングネオ神楽坂

【未来ビジョンセラピーで出展します!】