違う空の下と言うと旅行にでも行ったのかという所ですが、本日の天草はこれまで見たことが無い感じの空が広がっていました。

単に秋の空になったということなのかもしれませんが、そういう意味での「違う空」の下ということで。

元の言葉のアクセントは、違う「空の下」(地上)という意味ではないよなと思いつつ。(そっちが本当だったり?)

 

それはそうと、返信が返って来ました。

「自分が行った行動の前提に愛があっても相手はそう受け取るとは限らないけれどそれでもそれは善と言えるのか」という問いに対し、

 

曰く、『それをされた人は凹むだろうけれど、善悪の天秤にかけたら云々・・・』

 

あの〜、それって、

『崇高な目的のためには多少の犠牲は止むを得ない』

と言っていることと一緒。

教団の思想に染まってるなあ。

 

ということを考えつつ、本人には言ってません(今の所)

 

あと、「好き勝手に生きたら悪想念をいっぱい溜めて自ら地獄へ落ちていく」とか書いてきたので、

 

「好き勝手に生きたら良くないことしかしない?

 (中略)

その人の良くない行いを見て、他の多くの人が自らの行いを改めた時、その人が行ったのは悪行なのか善行なのか?」

という質問を追加。

 

思考が凝り固まっているというか、要は、自分の中に怒りを溜め込んでいるんだなと思えた。

だから忠誠を求める神、(「正しく」生きなければ地獄へ送るという)復讐する神、そしてそれに伴う目の前にぶらさげた人参としての天国と地獄を信じているんだなと。

 

そんな「神」は、商売をしている所だったら、「他の神様に迷惑ですので」とお帰り願っている所。
いや、商売していない所でも帰ってもらうか。
 
 
多分そろそろ再び返信が来る頃だと思うけど、寝る前に読んだら寝付きが悪くなりそうなので、明日の昼にでも読む予定。
 
夜9時以降はニュースを見ない事が安眠の秘訣だと、昔聞いたことを思い出しつつ。
 
 
それにしても今日は、空だけ別の世界と入れ替わったんじゃないかと思う位の空でした。
見え方も変わったのかな。
 
まあ確かに、加齢もあって年々見え方は変わっているけど(笑