今日はいい天気だったので、日中はずっとエアコンを送風運転にしていました。
つい先日も同様の事を行っていた結果、エアコンの風量がアップしていたので今回もそれを狙って。
その結果、一時咳が止まらない状態に(汗
窓を少し開けて送風していたのですが、エアコン内部から剥がれ落ちるものがあったらしく、それに気づいた後窓を大きく開けて風通しをかなり良くする対応を行った所、問題ない状態に。
本日は割と風がある日で良かった。
当初の目的であるエアコンの状態も改善された感じです。
先日から話している友達に、改めて天国地獄の存在意義と自分が行った行動の前提に愛があっても相手はそう受け取るとは限らないけれどそれでもそれは善と言えるのかという質問をしていた所、天国地獄の成り立ちとか愛があればそれを行った自分は傷つかないとか頓珍漢な答が返ってきた。
天国地獄の成り立ちについては概ねそうなんだろうなという所でしたが、そうじゃない。
併せて、愛の名の下に自己満足に付き合わされる方はたまったもんじゃないと思うと送信した所、今の所返信が返ってきていません。
まあ、しょうがないか。
このままやり取りが途絶するのか、返事が返ってくるのか、こちらからは動かず様子を見る予定。
善(あるいは正義)の名の下に、一体いくつの争いが起こってきたのやら。
そうした視点に気づけるのかどうか。
気づかない方が幸せなのかもしれない。
当人にとっては。
言葉の意味を自分が理解出来る形に解釈する。
人の事に限らず自分も無意識のうちに行っていること。
同じ言葉でも人によってそれが指し示す意味が微妙に違ったりすることはかなりある。
善や悪の定義というものは、人によって異なる主観的なもの。
その共通項を探すのが物質世界?
絶対的な善というものは存在しえないというか、努力目標というか。
でもまあ、共通認識としての善いものも存在する訳で。
例外もあるとは思うけど。
「こうでなければならない」という考えがはがれ落ちると、可能性が拡がる。
「自由意志に伴う責任の結果としての天国と地獄」という返答に対し、
自由意志に対して責任を負わせる時点で、そしてその結果によって振り分けるというのは自由意志に干渉しているのでは?
神はそんなに狭量なのか?
という様なことも伝えたけど、これもまずかったかな?
まあいいや。
某団体にしがみ付きたいのであればそれを止める事もない。
それが必要だからそうしているのだろうし。
しがみついていたものからはがれ落ちるのは底に向かって落ちていくことではなく、実は暗い水中から明るく息が出来る水面に浮上することだということに気づいてくれればいいのだけれど。
それはあくまで当人の選択。