正邪や善悪はかなり高い確率で幻想であるということを考えていると友達にLINEで送った所、返ってきた言葉。
「善悪が幻想ならあの世の天国地獄の存在の意味がない」
それでは、天国や地獄があると仮定して、それが存在する意味あるいは必要性は何なのだろう。
何故それが存在するのか、存在することでどのような効果あるいは影響があるのか。
一番最初に思い浮かんだのは「コントロール」。
基準を作り、それに従わせるということ。
その基準のひとつとしての善悪。
交通ルールの様な感じで、従っている間は問題ないけれどはみ出た時には自分及びそれを採用しているグループに不都合なことが生じる可能性があるという感じ。
本質的な(その様なものが存在するとすればだけど)善と悪とはかなりの割合でズレていると思う。
そもそも、善悪は見方によって異なる。
Aという人とBという人がそれぞれ人を死なせたとする。
この時AとBは悪人なのか?
これだけでは判断の材料となる情報が少なすぎるので段階的に以下の情報を追加。
Aは与えられる限りの苦痛を与えて、Bは出来るだけ苦痛を少なくして死なせたとしたら。
Aに命を奪われた人は極悪人とされた人で、Bに命を奪われた人は善良とされた人だったら。(注:世間一般的な見方で)
Aに命を奪われた人はこの事が起こる前ににすっかり改心していて、Bに命を奪われた人は実は犯罪が発覚していなかっただけの非道な輩だったとしたら。(注:その当人にしか解からないことであったとしても)
Aは救うつもりで、Bは殺すつもりで動いた結果死なせたのだとしたら。
そして、段階的に追加した情報が実はAとBで部分的あるいは全体的に入れ替わっていたとしたら。
そもそも、その判断の基準は誰が決めたものなのか?(どこから来たものなのか)
死後は天国や地獄に行くことになっていてそれで辻褄が合うと思っている人は、自分の中に怒りを溜め込んでいるのだなと思う。
死後はその人の在り様に合う世界に行くのだと思うのでそれでいいのでは。
そもそも死後はそれこそ「世界」が異なるので、価値観や判断基準はかなり異なっていると思う。
天国の様に見える所や地獄の様に見える所は存在していると思うけれど。
死後の世界は死んだら解る。
誰かの評価を気にするよりも、自分らしく生きればいいのでは。
その責任は自分以外のだれも取りようがないし、誰かのせいにしても状況が変わるわけでもない。
結局、天国や地獄の存在意義って、善と悪それぞれの理想形を示しているのかなあ?
悪の理想形とか近寄りたくはないけど、悪役がいない物語って盛り上がらないんだよな(笑)
そういう思考になるように世界から影響を受けていたとも思うけど。