今朝方、名乗り口上の案についての夢を見た。

 

こんな風に名乗れば格好いいというか、自分はこうであるということを世界に示すのは格好いいなという感じでテキストを追っていた。

 

その口上は四角い絵の上に書かれていて、次第にその絵のほうが主体になってきた。

これは(不完全な)一例として詳しくはこれから考える様にという感じだったというのもある。

 

代わって主体となった絵の方は何かやたらと精緻でバランスも良く、色使いも感動的で、更にそれが巻物の様に横に連続して繋がっていったのでこれは夢だという事を意識しつつ見続ける(出現させる)事に集中し、それを起きてから再現したいなと思ったのだけれど、自分の技術力とのギャップがありすぎて現在精進中。

 

芸術とは、自分が生み出すというよりも元にあるものをキャッチ(受信)して再現しているのかもしれないなと。

人それぞれの「フィルター」がかかるのだろうけれど。

 

そういうことで、名乗り口上について検討中。

 

今、この時であれば、

 

人生に飽きていたけれど、それは自分ではなくて自我だったことに気づいた。

 

という所(この前も同じことを書いたけれど)。

 

それに気づいてからの変化が、結構面白い。

それをきっかけに、その自我も変化している事を感じているので。

 

それにしても、名乗りにはなっていない様な。

 

名乗り、これが私である、というのは、

 

いつでも結構一生懸命、だった。

 

という感じ。

 

言葉にしたら、それは既に過去のものになる。

 

本当に大事な事は言葉にしてはいけない、しかし、言葉にしなければ消えてしまう。

 

誰のための「言葉」なのでしょうかね。