久しぶりに『神との対話』を読んでいます。

 

数年前に読んだはずなのに、その内容をほぼ忘れているという。

 

まあ、新鮮味があって良しとします。

今は今の出会いがあるということで。

 

そこで書かれていたこと、「自分の感情を表現する」ということ。

それを誰かに向ける場合には『愛と思いやり』をもって。

 

以前の自分であれば、『愛と思いやり』のパターンを過去の経験や誰かの反応や成功体験から探し出そうとして一時停止していたかな。(あるいは諦めていた)

思考で処理しようとしていたので。

 

今は、『心(胸)が暖かくなる感じ』が『愛と思いやり』の様な気がします。

 

それは誰かに見せるためのものでも、打算を意図したものでもない。

 

そんな感じ。

 

 

その他。

思考が言葉で認識される前の状態。

それと同じ状態の場所(?)にメッセージもやってくる。

 

言葉にすれば「囁き」(『攻殻機動隊』より)と言えるかもしれないけれど、明らかに言葉以前の状態。

しかし、意味が解るので言語化出来る。

ただし、今の自分の理解に応じた翻訳力で。

 

メッセージを受け取るために紙とペンを持ち歩くというのもあり。

しかし、本来はそれすらも必要ない。

すぐに忘れてしまう事もあるので、そうした対応もあるというだけのこと。