今のアパートに引越してきた当初はその環境が納得行かず、ひたすら対策を行ってきました。
冬は寒く夏は暑いというその状況に納得行かなかったので。(←「今」をひたすら否定していました)
その結果、ある程度の経験値は積めましたが、オーバースペックというか過剰投資というか。
元が元だけに、最高を求めても限度があります。(←引越したほうが早い)
ということで、今年はカーテンボックスの設定とか窓の前にスタイロフォームやポリカプラダンの衝立をしたり、窓そのものにプラダンを貼ったり、エアコンの温度設定をある程度低めにしたりという感じで、昨年からの使い回し多数でそこそこの快適性を得ることにしました。
後は、自分の本来の生命力を発揮するということで。
そういえば、コロナ以前は大体毎年年末年始頃に実家に帰っていたのですが、実家の状態がこれまた、、、。
まず帰ってから行っていたのは主に家の中の大掃除。
「化石」多数の冷蔵庫の中も。(←家主にとってはそこに入れたものは絶対に劣化しない「魔法の箱」状態)
そして、築80年断熱材無しの一戸建てなので人が居ない部屋の室温は冷蔵庫並(ひと桁)。
場所によっては氷が溶けない状況になることも。
そうした場所で数日過ごすと、天草に帰ってきてからしばらくは少々寒くても平気になっていたんですよね。
もっとも次第に元に戻っていましたが。
雨風しのげてライフラインもある(ホコリとゴミもあった)という実家の生活に適応出来ると少々の事には適応できるなと。
もっとも、実家のほうが山に近い田舎なのではるかに静かで空気が綺麗なんですけどね。(今住んでいる所比で)
とはいえ、気合(アドレナリン)で何とかしていると3ヶ月も経てば息切れしてくる訳で。
そういえば、だから季節が巡るんですかね。
夏も冬も3ヶ月以上続かないし(極端に暑い時と寒い時が)。
快適性をひたすら求め続けることは進化に似ていて、進化の究極は死だという言葉を思い出した今日この頃。
自分で動かないで良いように機械を発明したのだし、それが究極まで進めば考えなくても良いということにも。
考えることすら放棄してしまったら、もはや死んでいるのと同じ?(←これはエゴの罠でもあるような)
むしろ、考えないために感じないことを選択している人も多いような。
Don't think! Feel.
ということで、適度な暑さ寒さも生きることのスパイスかな。