目下、1日2回のプロテインで体がどう変化するのかを確認中。

これまでの「普通の」食事ではタンパク質が足りない状態であるということに気づいたので。

 

その他、相変わらず夢で見た場面が現実になることが頻発中。

そして、「なんとなく」思ったことが適切な選択であったということも。

(必ずしも「それ」を選択してはいませんでしたが)

 

そんな感じの今日この頃。

 

 

今日は、とある所で犬に吠えられ、その結果自分に嘘をついていたことに気づきました。

(犬に吠えられるのは2日連続)

 

吠えている犬は嫌いなのですが、そんな犬でも手懐けて(他の人に)みせようとしていた、ということに。

→「やってみる」は自分主体、「やってみせる」は他人主体?

 

顔では愛想笑いを浮かべていましたが、犬はそんな下心を見抜いていたのか、吠える吠える。

動物は嘘を見抜くという話は本当だなと思った所。

 

そして、何故か犬相手に愛想笑いをして機嫌をとろうとしていた自分に気づき、つまんないことをしていたんだなとも。

 

何故、そんなことをしていたのか、

多分、これまで生きてきた中で、それで上手く行ったという「今ではもう役に立たなくなった過去の成功パターン」=「囚われ」があったのでしょう。

 

適当に合わせていればそのうち良くなっていた、という感じかな。

 

自分の心にまっすぐ向き合ってみれば、やたらと吠えまくる犬は嫌いです。

犬派猫派以前に嫌い。

やたらと吠えない犬は好き。

やたらと吠えない犬に関しては猫よりも好きかも。

 

そして、それ(やたらと吠えまくる)は自分自身が何処かで誰かにしていたこと、だったのでしょう。

小さなことにいちいち過剰に反応していた、ということ。
確かに、憶えあり。
また、自分を偽っていると、吠え続ける犬のようにその嘘につけ込んでくる人を呼び寄せるということ。
 
それを自覚したということは、小さなことにいちいち反応する事と「適当に合わせる」ということを改めるということが迫られているということ。
 
必要なのは、大局を見て適切に対応するということかな。
 
どうするのか、ではなく、どう在るのか。
 
つまりはそういうことなのでしょう。