バカだったと過去形にしてしまいたいけれど、まだここで書いている位にバカな自分がいる。

偉そうに自分が他人の行動に見ていたことは、とりもなおさず自分自身の中にあったことで自分自身が行っていたこと。

 

ん?

ということは、誰かに対して「こうすればいいのに」と思ったことは、自分にも言えること?

でもまあ、自分はバカではないと思っていた時に思ったことは、やはりバカな思いだったのかもしれない。

 

 

バカな事をやっているように見える人は自分ではそれが正しいと思っているからやっている。

 

それを他の人から間違っていると言われても、納得しなければやり続け、、、る?

それを受け入れて止めるかもしれないし、自分の本質側からの強制停止もありえるか。

 

バカなことでもやり続ければ成功するという話もある。

結局、自分が良いと思ってやることに、どれほどの覚悟があるのかということ。

もっとも、どれほど本気だったとしても、適切なやり方やタイミングでなければ大きく成功することはない。

 

と、ここで、自分が「成功」ということにこだわっていたという事が判明。

それは何処から来ていたのか?

 

やられたらやりかえす。

同じ次元では程度が低すぎるので、社会的に成功してやりかえす(見返す)。

 

昔、そうしたことを考えていた。

 

それは半分は成功、半分は失敗。

他人軸だったからというのもあり、同じ次元では敵わないからと卑屈であったというのもあり、結局無理をしていたので一番最初に入った会社を辞めるということに。

強制停止の後も、自分には向いていないと必要な努力をせず被害者意識丸出しで。

 

そして、その後自らを見直して必要なことをやらないというのもバカの特徴。

いつか起業する(でもそれに向けての具体的な行動はしない)とか、いつか宝くじが当たるかもしれないとか、スピリチュアルなことをやっていればそのうち何とかなると思っていたとか。

 

別にスピリチュアルを否定している訳ではなく、それに逃げていたら同じことだということで。

 

 

 

逃げるのではなく現実を見るためのスピリチュアル。

今回は雲黒斎さんのブログ記事、『あるがまま』を読んで思ったことでした。

 

同じく雲黒斎さんの『【選り抜きINDEX.2】仏教入門』

記事のまとめページで、おすすめです。

そこでは苦行では悟れないとか、本来の仏教では実にまっとうな話が語られていたということを知りました。

こういう仏教の話は好き。

 

 

あと、ここ数日、様々な出来事や心境の変化から思うに、変化の時期ではある模様。

 

ということを書いていたら、ある不平不満の感情を感じたのでそれに意識を向けてみた。
その存在を認めた。