改めて、自分の動きを制限していたのは自分だったことに気づく出来事があった本日。
避けられる小石も避けずにぶつかって傷だらけになっていたのが昔の自分。
例えば、道を歩いていて向かい側から来た人とすれ違う時に道を譲らないのが格好いいと思っていたような感じ。
道を譲るのは格下だという思い込みとか。
今は避ける、そうする余裕がある。
昔は譲らなかったというよりも譲れなかった。
そんな余裕はなかった、という事に気づいたので。
それに、格好いいの基準も人それぞれ。
人によっては正反対の事も多々あるし、全く興味がないということもよくある。
また、その個別の事象に囚われず、そのタイミングでは無駄な動きに思えたとしても全体としてみれば最小のエネルギーで最大の効果を得られる、言い換えれば、それを行うことで流れが良くなるという事になるということもある。
なにはともあれ、「それ」が出来ると思いその様に行動することは、それに応じた結果をもたらす。
そして、それは余裕があるということ。
余裕を持つ(創る)のも無くす(そういう状態になる)のも自分次第。