まずは自分自身に。
ということで、今年もマイペースで更新します。
やっぱり年が変わるということは、人が決めた事だとはいえそれを無意識のレベルから信じていることもあり、相応の変化を感じますね。
意識の変化、エネルギーの変化等を。
それを好ましいものとして捉えるのか不安要因として捉えるのか。
エゴは変化を嫌うという話があり、一つの選択であれば容易に対応する人が比較的多いのに対し、2つの選択を続けて行わなければならない場合には選択自体を回避するというのがその傾向なのだそうです。
つまりは現状維持がベース。
でもそれを続けていても変化はありませんよね。
もっとも、自分が変わらなくても世界は変化し続けているのでいずれ変化せざるを得なくなるわけですが、その時に生じる大きな変化を「変化」だと捉えている間は日常的に行っている小さな変化には気が付くこともない。
そして大きな変化の時には相応のエネルギーの動き(ショック)がありダメージを受ける事もあるのに対し、日常的に変化を続けている場合には自分の「余力」あるいはごく僅かな回復力で対応出来るということ。
車の運転で例えれば、右左折をする時にはまずブレーキを踏んで速度を落とさなければいけませんが、なだらかなカーブであれば速度を維持したまま同じ目標点へ到達できるとも言えます。
こんな感じで。
ついでに、雲黒斎さんのブログで幸福と不幸について佃煮ヨーグルトさんが作られたというフラッシュが一時的に?読み込めなくなったので、記録がてらその要点を記録。(あくまで私の意訳です)
あくまでその「総量」ではなくて、「どの様に感じるのか」という話。
幸も不幸も相対的なもので、どちらかだけにすることもどちらかだけを感じるようにすることも出来ないのであれば、どちらを多く感じることを「選ぶ」のかということ。
という一つのヒント。