志村けんさんが昨夜11時過ぎに亡くなられたそうです。

入院されたという事を聞いた時になんとなく予感していたものがありましたが、その通りになってしまいました。

昭和の時代から度々テレビでそのコント等を見ていましたが、また一つの時代が終わったんだなという感じがしています。

 

なんとなく、今回のコロナはそうしたこの世界での役割というか目的を果たした人が向こうの世界へ旅立つきっかけにもなっているという感じもしています。

それについては他の自然災害等でも同じですが、コロナは旅立たせることとこれからも生きていく人の遺伝子を変化させるというその両方を担っているという話もありそうかもしれないなと。

 

イタリアとか、まさに自らの思うがままに生きているイメージの国での感染者数と死亡者数が増えているというのもその現れなのかなと。

もっとも、決められたことを守らないので感染が広がったという話も聞きますが。

まあそんな人は(自分にとっても都合が)良くも悪くも日本の中にもある程度の割合でいるわけで、ここぞとばかりに「コロナが出ていない地方」へ旅行している人もいるみたいですね。

移動の経路で知らない内に感染して自らが感染源になることを想像することも出来ないのかということで、なるようになるのだろうなという所ですが。

若者だけでなくそうした行動力のある「大人」が今後どのような結果をもたらすことになるのか。
どちらにしろ、死ぬ時は死ぬし生きる時は生きるとは思いますけどね。
 
ただ、単純に死ぬだけならまだしも、感染後回復しても重い後遺症を抱えて生きる事になる場合もあることを考えると、コロナが変異して弱毒化するまでの間は出来るだけ感染しない様に心がける必要があると考えています。
変異するまでの間、誰かに「罹ってもらう」必要があるのですが、それについてはそれぞれの本質が選ぶことなのでしょう。
本質に近い生き方をしていたら罹ったとしても症状は軽くて済む可能性があるという話があります。あくまで可能性。
 
重い後遺症で思い出したのが、志村けんさんはかなりのヘビースモーカーで1日2箱も吸われていたという話があり、それによってCOPDになっていたかもしれないなと。
つまりは、タバコを原因とする基礎疾患が既に存在していたかもしれないということ。
COPDはタバコを吸えば吸うほど進行するということなので、今回のコロナを機に紙巻きも電子も含めてタバコの販売を中止してくれるといいなと思いつつ。
タバコだけでなく、エアコンからのカビもなかなかの有害物質だと思いますが。
昔の日本統治下の台湾ではアヘンの撲滅のために、それを免許制にして徐々に「ユーザー」を減らしていったという方法を実施されていたそうです。
いきなりの中止が無理ならタバコも同じことを実施してくれればといいんですけどね。
 
 

そういえば、先日レトリーバルのことを書いた後に見た夢は、フェリーよりも大きな船の中でご年配のご婦人方と何かを話していたのと、3列シートの1ボックスで2列目と3列目がそれぞれベンチシートになっていて、ヘッドレストがそれぞれ3つ付いていて詰めればその間にさらに2人が座れる補助席の様な仕様になっていました。

その車を父が運転してどこかに行っていたという夢だったのですが、それぞれレトリーバルに関係することだったのかなと思いつつ。