今日は朝から何か焦っていました。

それについて意識を向けて見たのがつい先程。

結局の所、焦っていたのは壁の向こうの「誰か」で、自分はそれに反応していたということに気づいたらその「誰か」は物理的にどこかに行きました。

その後も、物理的にどこかへ行っていない「誰か」からイライラとした波動が来ているのが感じ取れましたが、それが外部的なものであると認識しているので、かわして流すだけ。

この間もこんなことがあったよなと思いつつ。

 

昨日はふと、今の世界的状況に対してレトリーバルを行う必要があるのだろうかと思ったのですが、今の所表層意識においてはそれを行なったことが無い(光の扉法は別として)ことと、それが自らの不安を元にした行動である場合にはあまり良いことにならないのではという感じがしたのでその後特に何も行なっていません。

それに、亡くなられた時点で時間の概念はかなり違ったものになるので、亡くなられた方に関しては余裕が出来た時に行うことにして、どうせ意識を向けるのであれば今現在頑張っている方々に意識を向けた方がいいなと。

それもまた不安からではなく、安心からの視点で医療従事者、電気、ガス、水道、通信等各種インフラを支える方々、物流を担当されている方々への感謝と応援ということで。

医療体制も重要ですが、それを支えるインフラ及び物流が止まってしまったらコロナ自体での影響をはるかに超える事態になることが容易に想像できるので。

 

それと、これから亡くなる人、ではなくこれからも生きていく人が「囚われた人」という意識を作り出す場合があるという話もあるので、死後の世界の存在と人間は肉体だけの存在ではないという認識を持つ人が増えるといいなと思いつつ。

こうしてブログで書いている時には割とそれを信じている人の情報を目にするのですが、一歩外に出れば全く信じていない人も大勢いますし。

 

それと合わせて今回の出来事をきっかけに経済最優先だったこれまでの社会の方向性を見直すことになればいいなと思っていますが、その前にとりあえず生き延びることですね。
生き延びることが一番重要なのだと思わなくなってからある程度経ちますが、それでも生きていて良かったということもあったしこれからもあると思うので。
そのためには感染しない事が一番だと思いますが、感染者の8割は無症状であると言う話とかこのタイミングであえて旅行に行っている人がいるという話を伝え聞くと、感染するのは時間の問題かなと思いつつ。
 
現実的対応として、いつ収束(及び終息)するのかわかりませんが、ロックアウト(都市閉鎖)が地方にも波及して夏場にそれを迎えた時、エアコンが壊れたら住んでいる環境によってはそれこそ死活問題になりそうです。
一昨年の夏、エアコンがあちこちで壊れまくったのはその予防準備だったのかなと思ったり。
新しくしても壊れる時は壊れると思いますが、生産や物流が止まっていない今の内に壊れそうなエアコンがあったら更新しておくのも良いかもしれません。
 
 
ということで、本日のエンドウ豆。
 
 
やっぱりこれ位のサイズ感で撮影したほうがいいですね。
 
上の方はこんな感じです。
 
 
さて、どこまで伸びるのやら。
 
 
(追記)
ウィルスは自分の本質の流れに沿う様に肉体側から変化させるという目的があるそうなので、無理矢理に変えられる(激しい症状が出る)よりも先に変化しておけば症状も軽かろうという話もあるということでこちらの情報など。
 
 
自分だけでいいなら、光の呼吸を行ってハイヤーセルフと繋がっているイメージをするだけで完了しそうです。
 
もっとも、その効果のほどは自分の場合は自分の、相手の場合は相手のハイヤーセルフ(要するに自分自身の本質)が選択した結果になるので症状が出る時は出ることになるそうです。