散歩がてら自転車で川岸を走っていると、いい花の香りがしてきました。
そこで周りをよく見てみると川岸に群生していたのがこちら。
その時は名前は何なのか知らなかったので、とりあえず撮影して帰りました。
家に帰って妻に聞いてみると、フリージアとのこと。
調べてみると確かにそのとおりで、金木犀の様に香りが強いことや茎の先端が横にいくつも枝分かれして花が咲いていることなどが確認できました。
その場ではいい香りの花が咲いているとしか認識していなかったのですが、茎が横に枝分かれしているのを画像で確認して、茎の強度はかなりのものだなとか、この連装状態はチューリップより効率が良さそうだなとか思ったり。
人家の前を通る道路の対面側に咲いていたので、カメラで撮影していて不審に思われないか人目を気にしていたのが認識力を妨げていた主な要因だった模様。
別にやましいことをしていた訳ではないので堂々とじっくり観察しておけばよかったなと。
ヘミシンクと同じで、不安や恐れが認識を妨げるフィルターになってしまうということですね。
そういえば、いつかの夢の中(?)で上を向いたチューリップ位の大きさの花の根元で茎が横に繋がった奇妙な花というイメージを見ていたような気もします。(まさに画像のアングルで)
その時はこんな花があるはずがないという感じだった様ですが、見えたものは仕方ない、とりあえずそれを認めるというのがやっぱり大事な様です。
最近何日か夢の記録が数行しか書けなかったのですが、昨日今日と長い記録を書けた夢を見たことも関係しているのかもしれません。
相変わらずその内容はメタファーに溢れているという感じですが、また認識をギリギリ超える所に行っていたということなのでしょう。
起きる少し前まで、誰かの名前を漢字と平仮名(?)のフルネームで聞いていて、これは起きた後に調べようと思っていたら、起きた途端に忘れているということもあったので。
3月20日でまたエネルギーが変わったということなのかなと思いつつ。
今日はその他、起きている時の意識状態(考え方)も変わった感じです。(そう書いている時は変わっていない時という話もありますが)
コントロール「しなければならない」というのはエゴ、ということを自覚したので、今はまだちょっと違和感がありますがじきに馴染んでくるはず。
例として、断熱性能が低いアパートなので室温が上がってきて夕方から夜にかけて暑いのですがそこでエアコンの冷房を入れるよりも服を脱いで調整する方が体にもいいということに似ているかもしれません。
人の行動をあれこれ考えるよりもそれを一旦受け入れた方が結局は自分とその誰かにとって最も良い方向に向かうということで。
もっとも、自分にとって都合の良い方向に変わることを目的に何かを受け入れるというのは迂遠なコントロールでしかないということで、それは自分に嘘をついているということでもあるなと。
なお、ここで書いた「人」とは一番身近な家族のことです。
ということで、本日の豆苗。
左端がますます大きくなっています。
でもやっぱり徒長気味だなと思いつつ。
午前中しか直射日光が当たらないので仕方ありません。
LEDライトを設置してまで育てる気はないし。
主目的の金魚水槽の水質浄化は達成されているようなので、これで良しとしておきます。
あとはエンドウ豆の成長に任せます。