今日はいい感じで雨が降っています。

朝の天気予報ではぱらっと少し降る位の予報になっていましたが、相変わらずハズレで結構がっつりと。

雨の雫が落ちるのを眺めるのも、音が吸収されて静かになるのもいい感じで、雨と共にエネルギーが流れてきている雰囲気で、その流れによって建物等にくっついていた何かが流されている様でその感覚もいい感じです。

 

明日は3月20日、また何かあるという話がありますね。

世界を変える、その必要性を感じているのは誰なのか。

そして、その世界は誰の「世界」なのか。

 

主観的な世界?

そもそも世界を感じるのは主観以外にはありえそうもないけれど。

 

ということであれば、その変える必要がある世界とは「自分の」世界とも言える。

それを思うように変えるのは、他の誰かが見ているその「誰かの」世界を変えるのは迷惑がられるだけかもしれない。

少なくとも自分はそうされたくはない。

 

昔読んでいた小説で、「目覚めた人が10人いればこの世界は変わる」という台詞があり、そうしたことを信じていた時期もあったが、実際の所、世界の中で目覚めている人の数はそれどころではないらしい。

そして、その人たちがどうしているのかと言うと、ひっそりと自分の体験を深めるために存在しているのだと。

 

そもそも、変えなければと思うことは不足や不安感を「自分」が抱えていたという証拠。

何故それを行いたいと思っていたのか、そこが重要なポイント。
本当にそれを行いたいのか、それを行うために努力するということで目を逸していたいことを忘れるために行なっているのではないのか。
 
今の自分が目を逸らそうとしていたことは、働いていないこと、就職先が決まらないこと、それ以前に家に居づらい感じがたまにすること。
まあ、一日中家にいるのは体力が低下する原因のひとつになり得るので外に出たほうがいいし、そのほうが意識も変化するのでいい。
 
「問題」を解決することもいいけれど、本当はそれが「問題」ではないこともある。
それはただの状況で、そこから何を選択するのかが重要。
気に入らなければ変えればいい。
ただし、その本当の理由と向き合っていなければ、次々に形を変えて「それ」が現れてくるだけのこと。
 
 
ついでに、神様について。
「神様」とは何。
自分より上位の存在?
自分に出来ないことが出来る存在?
 
上位とは何なのか。
能力的、あるいは存在の特性的に自分には敵わないと思う存在?
 
そもそも、個性を持つ神は究極の神ではないと思うのが今の私。
神の様な存在はいるとしても、神そのものではないなと。
様々なエネルギーや思念等の集合体を神として認識している人もいるけれど、便宜上「神様」と呼んだとしてもそれが神そのものとは思っていない。
 
対価を払って個人的な願いを叶える神とは、「お客様は神様です」の話と同レベルのことなのかなと。(願い自体が個人的なものだとは思うけれど)
対価を要求する神を神と言えるのかどうか。(願いが叶った後、対価が回収されたことに気づいた人がどれほどいるのやら)
人氣の循環領域を神として認識している場合も多い模様。
それが個性の様に見えるものを持って一つの存在の様に反応し、存在を継続・拡大しようとする。
それと意識的・無意識的につながった人の反応が投影されているのだとは思うけれど、人の魂はコピー・ペーストで成り立っているらしいので、それも一つの存在、意識体として捉えてもいいのかもしれない。
そうであれば、それは人間と違って自分の本質というものとのつながりが存在せず(多分)、その存在自体が本質であるが故に、存在を続けるために周りからエネルギーを集めようとするのは当たり前のこと。
だから、願いが叶った場合に確実に「回収」が発生するのか。
 
神氣の「神様」も願いを叶える場合もあるけれど、それが自分の本質に沿わない願いであった場合には容赦なく却下されるとのこと。
その場合の神様は自分の「本質」でもあるので、それは外的な何かではなく、「自分」がその様に決めただけだと言えるかもしれない。
そしてそれこそが、本来の「神」だと思うのが今の認識。
神と自分は同質。
 
 
最近、とあるスピリチュアルな人のライブ配信を見ていましたが、何となく自分には必要ないかなと思って見るのを止めました。
人氣領域の循環が形成されている感じもしたので。(承認欲求とか注目されたい等を自分の中に感じたので)
まあ、誰かが表に出て活動をするということは、規模の大小はあれそうした循環が発生するのでそれ自体は問題無いのですが、あえてそこに自分のエネルギーを向ける必要もないかなと。
 
世界を変えたい人はそうすればいいし、そう思わない人もそれでいいと思う。
自分が出来ること、あるいは出来る様になりたいと思ったことを、出来る範囲を拡大したり縮小したりしながら、望む様に実行する。
制限の中での自由。制限があるから自由に(あくまでそう感じて)動けている部分がある。
制限なしの自由は、常にあらゆる物事に対処しなければならなくなる。
また、自由が最も大切だと考える人ほど、他の人の自由を簡単に侵害することに気をつける。
 
世界は変わった方がいい所もあれば、変わらなくてもいい所もある。
気づかない所で、実は物凄く上手く出来ていることも。
 
 
それに関して昨日見つけた面白い動画。
 
TED
 
太古の地球には陸上に進出してすぐの当時の植物をはるかに超えるメートルサイズのキノコが存在したとか(某アニメの世界設定のコンセプトはここから来ていたのかと思ったり)、ある分野において殺虫剤の必要性を根本から無くす可能性のある菌類とか、ただのトリビアから日本にも導入してもらいたいことまで。
 
ついでに所によってかなり早口でついていけなくなったりしましたが、英語の勉強にもなりそうです。