昨日、洗面台の排水口が詰まり気味だったので何故それが起こったのか観察してみると、これまで気づかなかった事に気づきました。
排水口が詰まる時は、排水口そのものに原因がある場合もありますが、その上流に原因がある場合もあるということに。
それなりのサイズの固形物が見当たらなくても、水が流れる底面や壁面の状態次第でそこに排水口を詰まらせる要因となるものが発生する場合があるということ。
もっともその事自体は以前にも気づいていたことではありましたが、それは自分自身の思考にも言えることではないのかなと。
自分自身の気づいていない思考が、心と体に負荷をかけていた。
ずっと何かを考え続けていた。
その原因も理由も考えていたこと自体も忘れ果ててしまうほど長い時間。
そしてそれが自分の他の思考や行動に影響を与えていた。
1つ目の影響は、考え続けることによって意識のリソースが減るので、意識が制限された状態になっていた。
目の前の事になかなか集中出来なかったり、最適な答えをなかなか見つけられなかったり等。
2つ目は、訳の解らない思考が常に動いていたので、認識が歪められることになっていた。
自分の都合の良い方に解釈したり、否定的に解釈したり。
3つ目は、行動への影響。
そもそも、この事に気づいたのは、外出等何かの準備をする時に他の人より時間がかかっているという事に気づいた時。
行動に意識を向ければ(思考を停止すれば)スピードアップすることも判っていたので、では、何がそこに影響していたのだろうかと。
今となっては思考の形すら無い「それ」を認識することで、それを徐々に開放しています。
具体的には、考えてもしょうがないこと。
かすかな不安や不満、恐れ等、心と体に緊張感を与えていたもの。
昇華しきれないでいた感情等。
それをどうにかしようとするのではなく、とりあえずそれがそこにあったことを認める。
ただそれだけ。
紙に書き出して破り捨てるのもいいかもしれません。
いつの間にか頭の中に居座っていた思考(及び以前はそうだったもの)を解放中。