昨日の画像ですが、近所の公園で河津桜が満開でした。

 

 

 

その他、池では亀が泳いでいたり。

まだ冬眠している時期だと思っていましたが、今年はかなり暖かいようです。

 

 

そして今日はパイン材の板で座卓を作成しました。(パイン材の柱は使用せず)

パイン材は雨が降らない日の午後という条件でしたがベランダで風通しをして3週間、ようやくその臭いが気にならない程度になってきたので。

24時間風通しの良い所に置いておけば、1週間程度で大丈夫になるのではないかとは思いますが。

 

それにしても、天板にネジの頭が出る様にするものではないですね。(基本中の基本ですが、組み易さを優先してしまいました)

出っ張りがあると本等を置いた時に引っ掛かって傷がつくことになったりしますし。

ダボ等を利用してで組めば良かったかなと思いつつ、結局、ネジの頭が少し入る位に大きめのドリルで軽く削り直して対応しました。

その後ちょっとおしゃれなマスキングテープでカモフラージュ中です。

誰に見せる訳でもないし、使えれば良いということで。

ダボ+接着剤の場合と違って、ネジを緩めれば簡単に分解出来るのは良い所。

 

とりあえず、従来使用していた座卓と比較して天板の面積が1.5倍になり、手前の足の位置も少し奥に調整したので大分使い易くなりました。

 

 

また、先日からの夢日記も継続中です。

 

毎日一体どこからこの様な物語が出てくるのだろうという感じでバリエーションに富んでいます。

もっとも、日常意識で見てみると辻褄が合わなかったり矛盾があったり突然場面が変わったり(意識状態が異なるので単に覚えていないだけかもしれませんが)するので、起きた後ではやっぱり夢だなとは思いつつ。

とはいえ、最近繰り返し出てきていたテーマがあったことにも気が付きました。

それは共同体内における人間関係に関するもので、後はそれに仕事とか研修等がセットで付いてくることが多かったということ。

その事に気付いたら今日は、自然災害への対応とか宇宙人にそうとは思わせない様に拉致された事に気づいたのでそこから脱出する方法を捜すものとかの夢になったり、どちらにしろ完全に人が出てこない夢は最近は見ていないか覚えていない状態になっています。

人間関係のプレッシャーがある夢の方がインパクトがあるのでそればかりを覚えていて、心穏やかな夢は目を覚まさずに忘れているだけかもしれませんが(なんとなくその通りという印象が)。

 

その他、神氣スポットと奈落スポットの事とか、人氣の流れと穢れ(氣枯れ?)の関係について考えていたり。

神氣スポットは空間にエネルギーが満ちているので、そこから奈落スポットへ向かってエネルギーの流れが起こることは解るのですが、奈落スポットは逆に地球の中心へと引き込まれる流れの影響で空間にエネルギーが足りなくなっている状態なのかなと。

だからそれを補うために様々な感情を上下させる事象が起こったり、引きこもりの人がそこに居てエネルギーを補充していたりするのかなと。

ただ、奈落スポットでも毎日読経や掃除等で浄化されているお寺ではエネルギーの流れと共にやってくる穢れを浄化しているので問題ないということは、普通の家が立っている所でもそうしたことを行えば奈落スポットの負の面の影響を受けなくなる可能性とか。

穢れもエネルギーの一形態?

人氣に神氣を当ててそのベクトルを外してやれば、自分が利用できるエネルギーになるという話もあり、もう少し理解を深める必要があります。

 

という事を考えつつ、『神氣と人氣』を読み返していると、『自分に囚われがあって、外すことができるというルートに気がついてしまった人は、それをやらざるを得ないというか』という一文を再発見してしまい、今まさにそんな感じで流れが進んでいる気がすると思いつつ。

 

それがどういうことなのか、半年後位になった時に覚えていたら書くかもしれません。

 

最初、その方向に進もうと考えてハイになって、何故ハイになっていたのかに意識を向けてみると様々な投影をしていたことに気づき、この方向で大丈夫なのだろうかと考えていたら、外堀を埋める様にその方向に進まざるを得なくなっている感じもしている今日この頃です。

頭で考えるととんでもない方向に進んでいる様に思うのですが、見えない世界からのメッセージは「大丈夫」のゴーサインが出続けている様にも思えるので、ここは肚を括って進むしか無いかと。

 

きっとこれまでもそうであった様に、今の自分の想像を超える展開が待っているのでしょう。

 

 

珍しくこちらを見つけた後も少し先でしばらく逃げずに止まっていたシロハラ。

 

今は見えなくても、視点が変われば見えてくるものもあるはず。