酉月は旧暦8月、現在の9月であり、

巳酉丑三合金局の旺地、

そして申酉戌方合の秋の正気に当たる。

和名で葉月といい、易では風地観。

 

風地観は12月の卦である地沢臨の裏返しとなり、

地沢臨が日ごとに陽の気を増していく象意に対し、

風地観は秋分を境に、日ごとに陰の気が増し

夜が長く、気温も下降していく象を示す。

 

陽の気が衰弱し陰の気が増していくことは

小人の勢いが増し君子を圧迫していく、

また物事の活発さが失われていく為

凶兆の卦のように思われる。

しかし易では物事を八面から見るものとする。

 

この卦は自然界でいえば

地上を風が吹き通る象意とし、

澱んだものを吹き飛ばし、新しい物をもたらし

上の気と下の気を攪拌し物を交流させる、

即ち上下の交流は君主が中正の徳を以て天下を観る、

その徳によって万民は自然に感化され、頼りにする。

こういう意味を附されている。

 

風地観は風が澱みを吹きとばして

天地が澄んだ状態を示し、観は

よく観る事の象意である。

よって風地観の卦は心を研ぎ澄まして

物事や人生を深く洞察しなさい、

心の目で物事をよく観察しなさいという意味を持つ。

 

 

酉の字の象形は

「酉は就なり。八月黍成り、酎酒をつくる可く、

古文、酉の形に象るなり」

※説文

 

とあるように、酉の字は

酒を醸造する器の象形文字である。

この酒は八月に収穫した黍きびが

成熟してから醸造する故に、

「酉とは万物老ゆるなり」※史記

というように、成る、成熟する、

老いる、といった意味を持つようになった。

 

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金鶏伝説

 

酉は金の旺地であるために

金性と相即不離の関係にある。

鶏は朝に鳴くので木畜ともされるが

鳥というのは本来は金畜ということになる。

 

そして金は金銀珠玉⇒黄金に通じ、

かつての日本の豪族たちの中には

純金で作った鶏の象を山に埋めるという

風習があったという。

 

「鶏の伝説は甚だ多きようにて候、

中世豪族の占拠したるいわゆる館という地には

殊にこの鶏の碑が多く、やはり黄金にて

作りし鶏を埋めたりとか、その鶏が時々

出でて時を作るなどいう話は

私の知っているだけでも4.5か所あり候。

ただ此の地方にては鶏を以て山の神と祀りし

例は未だ聞かず。」

 

※柳田国男 石神問答

 

 

「財宝の埋蔵地点について、

古い長者伝説では、朝日映す、夕日輝く

樹の下に黄金千両、漆万杯というのが多く

或いは具体的に三葉空木の根の下とか、

白南天の花咲く場所というのもある。」

 

「奥州栗原郡の村の中に鶏坂と云あり。

先の頃、純金の鶏を掘り出しけることあり。

この畠村には昔、炭焼藤太という者が住んでおり

その家の近くから砂金が出て富を掴んだ。

そこで金を使って鶏形を造り、

山神を祀り、炭と共に土中に埋めた。

 

そこでこの坂を鶏坂とし、そのことが

藤太行状という印本にも載った。

文化十五年の四月、その辺の農夫が

砂金を拾おうと山を穿つと、岸の崩れより

一双の金鶏を得た。重さ百銭あり、

山神の二字が刻んであったという。」

 

※松浦静山 甲子夜話

 

 

金の鶏は何故、

黄金で造られて山に埋められたのか。

そしてそれにも関わらず

それらの地域で鶏が山の神として

信仰対象になっていないのは何故なのか。

 

 

朝陽夕日の照る木は木生火であり、

その下の山は火生土、

そしてそこに埋められた黄金の鶏は

土生金の象徴である。

 

黄金の鶏は山の神を祀る為の

奉賽物として作られ、

そのあるべきところとして

土中に埋められたのである。

 

そして結果的にはこの金鶏を求めて

財宝伝説が各地に誕生した、

こうして柳田国男が各地で

金鶏の言い伝えや碑文に出会ったと考えられる。

 

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迎春呪術としての鳥追い、羽子板

 

迎春行事は弥生時代以降、

稲作中心文化の日本人にとっては

最も大切な行事であり、冬の水気を退け、

春の木気をどうにかして迎えようという

思想が多くの祭りの根源としてある。

 

そして木気の敵はこれを剋する金気であるために

迎春行事には金気を抑えるために

鳥を痛めつけたり、火で金気を抑えるという

幾つかの五行的行事が行われている。

 

 

鳥追いを正月の恒例行事として行う農家は

すでに東北に若干の例を残すのみだが

かつては秋の収穫時期に米を啄む雀や

苗を踏み荒らす鷺、烏、

冬時期に僅かな葉や青物を啄んでいく鳥害を憎み

鳥追いという行事が行われていた。

 

茨城、栃木、福島では

鳥小屋焼きといって正月十四日の日暮れから

翌日の未明まで火を焚いたり、

鳥追の歌を歌ったり、福島では

十三歳の少女が朝晩水を浴びて身を清め

三人が踊り、他の者は羽子板を打って

調子をとる、といった風習があったとされる。

 

鳥小屋焼きというのは実際に鳥小屋を

焼くわけではないが、

火剋金の原理で金気を押さえる意図が感じられる。

同様なのが鳥追いの歌を

踊り歌うこともまた火剋金に当たる。

 

では何故歌い踊るのは少女たちで、

この時に羽子板を打つのか。

 

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羽子板の意味

 

昔の正月の女の子の遊びは

男の子の凧揚げに対して「羽根突き」である。

元々は正月の公家の遊びであったようで

1432年正月五日に公卿たちで羽根突きが行われ、

女房達が負けたので殿上で深夜まで

酒宴になったという記事が残っている。

 

羽子板はコキイタとも呼ばれており、

後には胡鬼板と当て字されているが

こきとは稲をこくことに通じ、

しごいて掻き落とすことである。

 

羽は色鮮やかに染めた鶏の羽を

真っ黒なムクロジの実に五枚ほど突き刺して

この羽を良く拡げて羽子板で打ち合う。

 

羽は鶏であり、金気の象徴であるゆえに

この行事の五行的意味は明瞭で

正月の羽子板とは金気剋殺の為の行事である。

ゆえに長い時間、鶏の羽を打ち叩き、

しごく事こそが高得点になる。

 

本来羽子板は木気を助けて春の訪れを

招くためのものであるが、

自然に勝ち負けを争う遊びとなり、

やがてその本来の意味は忘れ去られて

室町時代にはその羽の形から、虫を捕食する

蜻蛉トンボに重ねられ、

子どもを夏の蚊から守るための

まじないであると誤認解釈されるに至る。

 

 

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おかめと酉市

 

酉市は東都年中行事の一つで

旧暦十一月(子月)の酉日に行われ

中でも浅草の鷲おおとり神社が最も有名である。

当日売り出される熊手は福を取り込むという事で

広く知られ人気を博している。

 

ここでは「お酉様」は福神なので

十一月中に一の酉、二の酉と行われ

年によっては三の酉まである。

 

子月は冬至を含み、一陽来復、

転じて一陽来と置き換えられることがある。

酉はとり⇒採るに通じ、

そもそも酉月に収穫の意味があるので、

子月酉日は福を取る日、

まさに福取りの神として信仰されて繁盛し

その福を掻き取る熊手が縁起物として

売り出されるのも自然な成り行きである。

 

この熊手には

なぜか中央にお多福が配されており、

別名、おかめともいう福神である。

 

 

このおかめ(お多福)も

実は酉と深い相関関係がある。

 

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おかめとひょっとこ

 

おかめとひょっとこは

本来は神社の神楽で登場するものだが

親しみやすい面の為か庶民文化の中にも

深く浸透している。

 

ひょっとこは口先をとがらせている道化面で

関東の里神楽の道化役であり、

オカメと対を成してもどき役を演じる。

東北では竈の神として祀られており、

火を吹く男、火男の訛りであるともいう。

 

おかめはひょっとことは対照的な

のっぺりとした起伏のない表情をしており

とても色白である。

ひょっとこを凸で男性象徴、

おかめを凹で女性象徴と見るのは簡単で

神楽でのその絡み合いは陰陽の交わりを

擬くものと納得される。

 

 

ひょっとこは本来竈の神であるというが

かつて内裏の内膳司には三所の

竈神が祀られており、この竈神に仕えたのが

戸座へざ、という童男であったという。

 

戸座は神祇官に属し、

年齢は七歳以上、婚期に達する前の童子で

当時の婚期を考えれば

おそらく15歳未満に限られる。

そしてその身体が大きくなった頃には

直ちに解任されたという。

 

戸座はその奉仕する竈神と同様、

御代の交替ごとにト占で決められる

きまりであった。

 

戸はそのまま竈の意であり、

戸座は竈の神に仕える聖職者として

ト占で決められることが当然である。

しかしその年齢の規定の厳格さは

いったい何に由来するものであろうか。

 

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戸座に求められる年齢条件は

卦でいえば少男、童子に属し、

艮卦の象意に相当する。

 

これは鬼と童子と山の関係にも

同じことが言えるが、

戸座がなぜ艮卦に当てはめられているのか。

 

戸座は竈の神に付き従う者であるが、

卦でいえば竈と同義の窯は坤卦に相当する。

そして坤は母であり北に配され、

艮は末子、童子として母に寄り添う形で

西北に配されているのである。

 

戸座とは本来、竈の祭祀場の名称が

そのまま職名となってしまったと推測されるが

その衣は黒であり、北の坤卦の色である。

 

話を戻すと竈の神であり火男とされる

ひょっとこは、この戸座の後裔とも考えられる。

すなわち、ひょっとこにも

少男、山、色黒、西北、

といった艮卦の意味が付されていると考えられる。

 

その特徴の一つがあの凸型の表情であり、

艮卦の山の意味合いを表していると考えられる。

また色白のおかめに対してひょっとこは

やや色黒で黄色っぽい面になるが

これも案外重要な点になる。

 

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ひょっとこに相対するおかめ(お多福)

 

ひょっとこが艮卦に相当するのであれば、

それに相対するおかめは少女であり、

艮に対冲する兌卦の存在と思考できる。

 

方位でいえば艮は西北に対し、

兌は東南となる。

もともと兌卦は水の溜まる場所の意であり

沢や池泉の象徴である。

 

上卦の欠けは口となり、

兌には神意を受けて託宣する少女、

巫女を意味する。

そこで日本祭祀において5.6歳から

15.6歳までの少女は巫女として

祭りに参与してきたのである。

 

また艮の少年が母たる坤に連れ添うのと同様に、

兌の少女は父たる乾に寄り添う形となっている。

乾は天、神、一家の長、父を意味し、

それに伴う兌はまさに巫女や神職の

意味合いを所有している。

 

艮の少男がその位置ゆえに

竈の祭祀者となったのと同様に、

兌の少女はその位置ゆえに

伊勢大神に最も近い距離で奉仕する

最高の祭祀者となっているのである。

※この巫女をかつては大物忌といった。

 

兌は後天易にすれば

その方位は西であり、十二支では酉に当たる。

九星では七赤金気である。

 

そして金気は穀物の結実であり、

実りから財宝に至るまで全ての富の象徴である。

その旺気の酉、その酉の象徴たる少女(兌)は

富の中心という意味を持ち、まさに福の神となる。

(強いて言えば金銭運の神と言う事になろうか。)

 

よっておかめ(お多福)には

富や収穫といった福の御利益があるとされて

お酉様と同一視されたのである。

 

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おかめを兌卦、少女の象徴とすると

先天易では辰巳の座に当たる。

辰巳は龍蛇となるが、ここに

宇賀神、ウカノミタマ(倉稲魂、宇迦之女命)

との習合が考えられる。

 

即ち宇迦女⇒ウカノメ、ウカメとなり、

後に転訛してオカメと呼ばれたのではないか。

これにより、お多福には秋の収穫時の

豊穣神の性質が備わったとも考えられる。

“お酉様”の象徴として

これほど相応しい存在もあるまい。

 

 

おかめとひょっとこは必ずと言って良いほど

二人ペアで存在し、神楽で舞う。

その表情はひょっとこは艮卦象徴ゆえに

山の凸を表しており、色黒、

一方でオカメは兌卦象徴ゆえに

平べったく凹型の顔で水が溜まる沢を表している。

そして色白なのは当然、金気の色は白ということになる。

 

兌卦と艮卦は後天易に直すと

兌は西、艮は丑寅の東北となり、

対冲ではなくなる。

兌卦、西、酉の意味を付与されたおかめは

お多福、また豊穣神ウカノミタマと習合して

豊饒の神、収穫の神、福の神の象意となっていき

今では酉の市にその片鱗がみられる。

 

 

おかめとひょっとこは概ね

おかめが先に来てひょっとこは後である。

ひょっとことおかめ、とは言わない。

おかめ(女性)の方が優先順位が高いことが感じられる。

 

これを易に直すと

該当するのが沢山咸である。

 

咸という字は四柱推命では神殺に

咸池というのがある。

意味は色情に溺れやすく、夜遊びや

色ごとに注意しなさいよという星になる。

 

咸は感応、感じる事、心が動く事であり、

艮と兌を少年少女と採れば

それは人生で最も多感な時期の

夫婦の始まりや交合を象徴する。

(当時の結婚は15歳頃である)

 

沢山咸は男性が下、女性が上であり

男が求愛し、上の少女が悦んで

それに応ずる象である。

その和合は感応の結果であるので

 

「咸は亭り、貞しきによろしく、

女を娶れば吉」

「天地、感じて萬物化生し、

聖人、人心に感じて天地和平なり」

とされる。

 

人生でいえば若い男女間での感応であり、

子孫を繋いでいくこととなり、

天下でいえば君臣間の感応であり、

国が泰平のもとに繫栄する事であり、

天地でいえば万物化生を意味する。

大変めでたい象意となるわけである。

 

 

卦の沢山咸は兌上艮下であるから

山の上に泉があり、

水が山全体を潤し、また泉も山があるゆえに

涸れることがない。

 

要するに互いに緊密な関係にあることを

象徴するのである。

 

 

おかめとひょっとこの存在を

兌と艮、さらに咸の象意の具現とすれば

この二者を神楽で舞わせることには

尽きない水と山の交合のように

順当で豊かな稲の成長や

国家安泰を願う儀式とも見ることが出来る。