寅月は現在の新暦では2月に相当し
2/3の節分明けて2/4の節入りから
新しい年の始まりとなる。
(今年の節入りは2/4/11:42)
しかし本来、旧暦では正月が寅月であり、
和名睦月が寅月を指していた。
今では睦月といえば1月を指す。
国立国会図書館の和風月名を参照しても、
正月に親戚一同が集まり睦むことから
睦月と言われているが、一説には
礼記や月令に、天地和同し草木萌動す、
とあることから、易の理により、
天地の陰陽和合ゆえに睦月、という説もある。
易でみれば正月の卦は地天泰。十二支で寅月、
日差しは既に明るく、「立春」の時であり、
陰陽が相半ばしているのが寅月である。
易の理において、
地天泰は吉象、それに真逆に対応する
天地否は凶象の卦になる。
何故かと言えば天の卦が上昇し、
地の卦が下降すれば天地の和合とはならない。
そのため、天地否は物事が纏まらない。
逆に天の卦が下降し、地の卦が上昇することを
地天泰といって天地循環の相を顕すのである。
この事から寅月正月を和名で
睦月とした可能性は大いにある。
今では旧暦1/1は旧正月といって
中国人の正月というイメージだが
かつては日本でも
旧正月こそが正月であった。
1872年11月に明治政府が旧暦から
新暦に切り替えたことにより
旧正月の風習は廃れていって今に至る。
現代日本人の感覚では
睦月=1月=正月=丑月、なのだが、
古典を研究する上では注意を要する。
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五行の寅は螾インが本来の象意であり、
動き始める事をいう。
また生まれ出でる、現れ出でることである。
要は発芽の象意と思えばよい。
方位としての寅は東方に座し、
日本人は東をひがし、というが、
元はひんがし、日向いから来ている。
要は太陽の昇る方向をひんがし⇒ひがし⇒東
去る方向をいにし⇒にし⇒西、
という風に推移してきたのである。
東の神社としては鹿島神宮が日本の極東に座し、
ここに祀られている武御雷は木気の神である。
寅月は季節で春の初め、五行で木気に当たり、
長い冬を終えて草木が芽吹き、
生命が蠢動し始める事から螾なのである。
よって寅を陰陽五行として用いる場合、
生命の象徴、動き始める象徴であると捉える。
当然、若い、生命として青々しい象意も含む。
慣用句で良く用いられる“張子の虎”
この正月玩具は虎の首の部分だけが動く。
張子には犬や猫や猿もあるが、
首が動くのは本来虎張子のみである。
これも寅の首に正月の期首における
年初の動き出しを掛けているのである。
また時間でいえば寅刻は
深夜3時~5時に相当し、
明け方~日の出の黎明の時刻になる。
まさにこれから太陽が昇り、朝を迎え
陽気が満ち、生命が活発化していく、
その最初の段階を寅刻としたのである。
①陽気の伸長
②陽気の顕現
③陽気の蠢動
こうしたことからも本来寅は
生命が動的になる象意で、
基本的に吉象を与えられている。
ただし、動の地支である
寅と申(四猛)の対冲などは、
まさに動きのある冲動として、
移動中の事故や怪我などに
注意とされる所以である。
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このような寅の象意は
時に新生児の厄除けに用いられ、
紫式部の日記によれば
鬼除けとして新生児の産湯の柄杓に
作り物の虎をいれることがあったという。
その数は8つで、木気成数である。
新生児は胎内からまさに生まれ出でたばかり、
当時はまだ出生時死亡率も
非常に高かったはずで、
その意味でも寅の作り物は
出生児にとっての厄除け、
無事にこの世に生誕するための
守護神としてみなされたのである。
一方で、生命、動くという象意の寅は
死者に関わる世界においてはタブーとされてきた。
新生児と新仏は新入りという点では同じであるが
この世の入り口に立つ者と、
あの世の入り口に立つ者で、
ベクトルは真逆である。
これから生の世界へ飛び立とうという
新生児は、寅の象意らしく
これから活発に動き、蠢動すべきである。
人間の人生とは小陽の東に生まれ、
太陽の南の夢理想を追い求め、
小陰の西に老いて、太陰の北に死す。
しかし死の世界に旅立つ新仏は
これから安らかに眠り、静かにして
もらわなければならない。
ゆえに北に聖廟や墓を建てて先祖供養をする。
死者が動くとなれば鬼(陰)となり、
もっとも忌み嫌われるタブーとなる。
この事から、日本の各地では
葬式に寅の日を忌み、(寅返し)
死後七日以内に寅の日がある場合は
虎祭りや祈祷をして寅除け、厄払いをする。
そういう風習が各地にみられる。
また死人の傍に猫をやると死人を立たせる、
死人の上を猫が跳ねると
死人は立って歩く、というような
迷信が残るのである。
おそらく葬式の際には猫は
式場の外に追いやられたであろう。
これは猫と寅を同一視し、
僧侶や修験者等の知識人が
葬式において寅日を避ける指示をしたことが
民間で理由を知らないままに
伝承されたものと思われる。
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一方で死者と寅という
一つのタブーに踏み込んだと思われるのが
日本のキトラ古墳であり、
このキトラは陰陽五行でいえば
己寅(きどのとら)に還元される。
己寅は本来裏干支なので
この世の干支ではなく、
あの世の干支で、一般的には知られていない。
干支の組み合わせでマイナス(静)になる干支であり
時間の停止した世界を表している。
己寅は生者と死者を分ける門に相当する
土性に寅を配し、さらに裏干支を用いていて、
意味としては死者の再生を願う儀式となる。
奈良地方を主として各地にキトラという
名前が伝わっているが、これらは
どこかに死者の墓があり、
それとは別にキトラ古墳を作って
死者の再生を願う意味が込められている。
その為、キトラ古墳の中には元から
あるべき遺体が存在しない筈なのである。
(儀式上、実際に埋葬された墓が西、
キトラ古墳はその東の近隣にある可能性が高い。)
そしてキトラ古墳を作るほどの
絶大な権力を有していたのは自然と
天皇という事になり、
その中でも陰陽五行に精通し、
また蘇らせたいほど痛切な思いを
どこかに抱えていた人物である。
最も可能性の高い者として
後継である我が子草壁皇子を失った持統。
(その後周到に皇室の支配基盤や
譲位制度を作ったことから
持統が自ら殺した説もあるが、、)
あるいは持統同様に五行に精通していた
皇極や推古の可能性もある。
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空亡(基本天中殺)でみる寅卯は東方の虚であり
現実未来の虚ということになる。
季節感でいえば春の欠け、
時間でいえば朝日の欠け、
人間でいえば若さの欠け、
また陽気の蠢動、伸長に欠けることになる。
これは物事の序盤、前進初めの頃に
苦労しやすく、若々しい前進力に
欠けることは一種の用心深さになりやすいが
それだけ若年期に出鼻を挫かれて
落ち着きが生ずるとも言える。
逆に申酉の方に偏る為、
物事の結果を出すとか、後半に強い、
晩年に強い、現実実行に強い、家庭運が良い
という意味合いが生じて来る。
思考としては現実の結果(西方)重視となり
同じ現実中殺の申酉と比較すれば
寅卯の方が慎重かつ結果主義者となりやすい。
寅卯空亡、といえども
実際の思考傾斜は西方なので
イメージとしては老。
申酉、金気、秋をイメージすると良い。
現実結果志向、私的家庭志向の作用を持つ。
仕事一辺倒の人生ではなく
家庭でリラックス出来ることを望みやすい。
物事にスピードをあまり求めないが、
その分、ゆっくりでも着実に成果を出す、
プラスを出す。
逆に寅や卯の象意を持つのは
申酉空亡の思考であって、精神構造が若い。
現実未来志向。公的社会志向。
動き出し、スタートに強く、若々しさがあり
仕事や経済に向かって逞しく進んでいく。
寅卯、木気、春をイメージすると良い。
東方は糧を得る世界であり、
東方傾斜の申酉は基本傾斜として
社会運と経済運に恵まれていくが、
結果の蓄積や家庭の安らぎに頼れないことから、
老いても仕事で現役であったり、
家でリラックスする時間よりも、常に新しい世界、
外の世界を自己の居場所にしていく傾向がある。