3.五行と干支名の由来
五行の名について、五行大義では以下のように
解説されています。
木は觸しょくなり。地に触れて生ず。
また木は冒なり。
地を冒して出づる様が「木」の象形である。
木の文字の下部は根を象っている。
木性の時期は春であり、春とは蠢うごめくを意味する。
萬物を生む季節である。
位は東方にあり、東は動である。
氣を震うがゆえに動くなり。
火の言為る化なり。陽気が働き始めると萬物が変化する。
また火は炎上するなり。火の字は燃えて上がる形を象るものなり。
火性の時期は夏である。夏は假なり。
假は萬物を呼び、これを養う。
萬物を寛假して生長せしむるなり。
位は南方にあり、南は任なり。
物の方に任ずるなり。
土の言為る吐なり。氣精を含み吐き、以て物を生ず。
土は生きたるものを吐くなり。
土は地の別號である。
其の字は二を地の下と中を象り、|をもって直畫するのは
物の初めて地中より出ずるを象るなり。
土性の時期は季夏(夏の終わり)である。
季とは老なり、万物ここにおいて成就する。
まさに老は四字の季に王(旺)たり。
その位は内におりて、中央に通ずるなり。
皇極の正氣を得て黄中の徳(土徳)を含み、
能く萬物を包む。
金は禁なり。陰氣初めて起こり、萬物禁止する(生長を止める)なり。
土は金を生ず。
金の字は土に従い、左右の注は金が土中に光るを象っている。
金性の時期は秋である。
秋の語源は愁であり、愁めるのに時を以て察らかなるは
義を守るものなり。
また秋は粛である。萬物は粛敬せざるものはない。
その位は西方であり、西とは太陽の入るの貌なり。
水は準なり。萬物を平準するなり。
また水の言為る演なり。
陰が変化して湿り潤い、演ながれ巡って浸透していくのだ。
故に字をたつるは両人交わり|を以て中より出でるものを水と為す。
一は数の始めなり。両人は男女に譬たとう。
陰陽交わりて以て一を興すなりと。
水は五行の始め。元気の湊液なり。
水は地の血氣であり、筋脈の通流である。
故に水という。
水の字は泉の並びに流れて中に微陽の氣有るを象る。
水気の時期は冬であり、冬は終わりである。
萬物冬に至りて終蔵するなり。
冬の言為る中なり、中に蔵ることをいう。
水の位は北方、北は伏なり、萬物冬に至りて皆伏す。
(地中に隠れる)
これは貴きものも賤しきものも萬物同様である。
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論支干名
支と干は五行によって立てられたものである。
これは昔軒轅(黄帝)の時、その師である大撓が制定したとされている。
後漢の蔡邑の月令章句には、大撓が五行の性情を採り上げ、
北斗七星の柄の示す所を占い、初めに甲乙という十干を作り、
これを日に名づけ、幹といった。
次に子丑を作り、これを月に名づけてこれを支といった。
天に事あれば即ち日を以て占い、
地に事あれば辰(月)を以て占ったとある。
このように天地、陰陽の別がある故に
支と干が有るなり。
総名の支干のうち、干の字には3つの種類がある。
その一は幹であり、二は簳であり、三は干である。
支と干が並んで働きを為すのは、樹木に枝と幹があって
ともに木の本体を為すようなものである。
故に簳、幹という。
また幹濟を義と為し(根本を成就する意)、
支とは枝葉を担うということであり、
この日辰を以て万事を担い成就していくのである。
だからこそ支幹という。
また干の字に作るのも、元は簳の意味であり、
物が竿上にあって能く堅立して顕然たる様を表している。
故に竿ともいう。
しかし世間の人や書は易きに従うゆえに、
今では干の字が多く用いられているのである。
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甲は押なり。
春に開き、冬に閉じるなり。
乙は軋なり。
萬物皆春に殻を解き、自ら抽軋して出ずるなり。
丙は柄なり。
物が両側に広がって成長する様を象っている。
また丙は炳なり。夏、萬物強大にして炳然として著見するなり。
丁は亭なり。
亭はじっと止まるさまを表し、物の成長が
まさに止むべからんとするなり。
戊は貿なり。成長既に極まる。
極まれば即ちまさに前體を貿易する(体を支えること)を為すべきなり。
己は紀なり。物初めて成るに、條紀(物の筋道)あるなり。
また戊とは茂ることであり、己とは起ることである。
萬物皆枝葉繁茂して、その秀を含む物は
抑屈せらるもなお起き上がることを言うのである。
庚は更なり。
辛は新なり。
秋に萬物成代し、改更(代替わり)して新たに復するを言うなり。
萬物皆粛然として改まり、秀でた実が新たに生ることを言うのである。
壬は任はらむなり。
癸は揆はかるなり。
陰は陽を内面に任み、揆然として(筋道を立てて)物を萌芽するなり。
時に維れ萬物を閉蔵して懐妊し、
揆然として萌芽するなりと。
また、
甲は人の頭(頭蓋骨)を、
乙は人の頸(喉)を、
丙は人の肩を、
丁は人の心臓を
戊は人の胴を、
己は人の腹(腸)を、
庚は人の骨格(肋骨)を、
辛は人の股を、
壬は人の脛を、
癸は人の足を、
それぞれ象っている。
つまり、十干の文字は当初は
人体を象った象形文字として生まれ、
やがて植物の成長過程の意味を付与されて
隋代の五行大義に収録されたと考えられます。
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子しは孳じ(しげる)なり。
陽気既に動きて萬物孳萌す。
陽気至りて孳養生ず。
丑ちゅうは紐ちゅうなり。紐は繋ぐことである。
子に萌芽して丑に紐芽するという。
紐結をもって名と為すという。
寅いんは移いなり。また引ともいう。
物の芽がようやく吐き出ると、これを地上から引き出して
伸ばす意味である。
寅は演動して生じ、伸ばし建てる意味がある。
卯ぼうは冒ぼうなり物生じて長大し、地を覆冒するなり。
また卯は茂なり。盛んに茂るさまをいう。
辰しんは震しんなり。
震動奮迅して其の故の體を去るなり。(脱皮?)
3月、物がことごとく震い動いて生長する。
巳しは己いなり。己はやめることをいう。
故體がここで洗い去られ終わってしまう。
そして巳は起こることであり、4月新たに物が起こるのである
午ごは仵ご、または咢がく(かみあう)ともいう。
仲夏の月、萬物盛大にして枝は入り混じって伸び、
物皆長大なるを明らかとする。
未びは昧まいなり。陰気が長じ木気が墓庫に入って
萬物が衰えて曖昧する。
また未は味なり。六月滋味なり。
申しんは神なり、身、伸、呻ともいう。
衰老陰長し、陰氣の体を成す。
酉いうは老らうなり。また熟ともいうなり。
萬物老極まりて成熟する。
八月、黍の成りて、酎酒を為る可し。
戌じゅつは滅めつなり。殺なり。
九月、陽気微にして陽萬物ことごとく成り、
陽は下りて地に入るなり。
この時、物衰滅するなり。
亥がいは核かくなり。閡がい(とざす)なり。
十月、萬物を閉蔵して皆核閡(かくがい)=種に入る。
また亥は劾がいなり、陰気が萬物を劾殺する(息詰らせ殺す)ことをいう。
亥にして子を生み再び一より起る。
また十二支の文字の象形はそれぞれ
子⇒人間の頭髪の象形、儀式
丑⇒人間の手、指の象形。農具を紐で縛る意
寅⇒矢の象形、矢を伸ばす意
卯⇒門扉の象形、開かれる扉
辰⇒ハマグリの象形
巳⇒蛇、胎児の象形
午⇒杵きねの象形。穀物を杵で付く意
未⇒折り重なる木の枝の象形
申⇒雷の象形、雷光
酉⇒秋の収穫祭において、酎酒を神に捧ぐ意
戌⇒鉞まさかりの象形、古代における王権の象徴
亥⇒胎児の骨格の象形
と考えられ、
それぞれ植物の成長過程を示すほかに、
人間の受胎から成長を示しているとも考えられます。
子⇒受胎し魂が宿る
丑⇒母の肉体と繋がりへその緒で結ばれる
寅⇒胎内で伸長しはじめる
卯⇒盛んに成長し母体を覆冒していく
辰⇒胎児が震い動き始める
巳⇒胎児の頭形がはっきりとしてくる
午⇒動きが強くなり手足が発達しはじめる
未⇒枝=手足が伸びてくる
申⇒全体的な身長が伸びてくる
酉⇒胎児が成熟する
戌⇒体外に出ようと動き始める
亥⇒骨格が完成し生まれる準備が整う。
纏めると、十二支についても十干とおなじく、
植物や人間という生命の成長過程と紐付けられており、
それ以前の象形の段階では
人の体や祭祀、武具などに纏わるものの象形文字であったと言えそうです。
また丑に関して言えば、芽を結ぶ、
結ばれた中にあって膨張するという解釈がなされていますが、
おそらく本来は大地と植物が紐によって結ばれる、
つまり根が張って大地と植物がしっかりと結ばれることを
示していると考えられます。
これを人間に置き換えれば、大地である母体と
これから生まれる胎児の肉体との間に、
へその緒という紐となるバイパスが出来上がることを示している
と考えられます。
十干十二支の象形については
元々持ち合わせていた意味、象意であり、
例えば、戊辰であれば山、大地が震える様ですから、
地震や噴火活動を象徴します。
自然界の基準である干支で占うことを陰占といいますが、
その基礎段階として必要なのが、
おおもととなっている十干と十二支の性情を知ることです。