昨晩心友がシェアしてくれた話に心が動きました。
その話で私と彼女の心には確実に変化が起りました。
シェアする事で救われる方もいらっしゃるかと思い記します。
かなり抜粋して彼女の話を紹介します。
娘とベンチで休んでいたら、隣に中年のご婦人と赤ちゃんが座っていました。
娘が赤ちゃんに興味を示し頭を撫でたり話しかけたりしていました。
ご婦人が帰り際に「この子、来週には乳児院に入れられちゃうんです、私は今日まで何ヶ月か里親として預かっていたのですが、もうすぐお別れしなくちゃならないんです」と。
彼女は「私なんて二人目が授からなくて悩んでいるのに・・・」思わずつぶやくと
ご婦人は「例え一人でも、いればいいじゃないですか」と。
このご婦人には娘さんがいらっしゃいますがまだお孫さんはおられず、「この子が可愛くて仕方がない、手放したくないんです」とおっしゃったそうです。
ご婦人の想いと愛が溢れていて、聴いた瞬間から涙が止まりませんでした。
私も心友も2人目不妊で、今この時期に子供について更に深い学びが出来たことを偶然とは思えませんでした。
ひとそれぞれ様々なテーマと向き合いながらこの世で生きています。
「人間関係」「恋愛」「結婚」「子供」「仕事」「お金」などなど。
人生の中で出会うテーマ、学びのテーマは人それぞれで、引っかかる事(反応する事)とそうでないことがあります。
私の人生は「縁と子供」というテーマ。
子供が授からない生活に苛立ち、ようやく授かった命も流産という経験をし、泣き暮らし、イライラしたり、妊婦さんを疎ましく思ったり・・・今思えばなんという感情だったのでしょうか・・・
小さい小さい天使ちゃんをお空にお見送りし、涙が枯れ果てた時に私に足りなかった学びにふと気付いたのです。
子供を産むという事、母になるという事、親やルーツへの感謝無しに子孫は繁栄しない事、エゴで子供を欲しがるのは意味が違うという事、その他にも沢山の気付きと学びがあり、小さな悟りがありました。
母になるために私には何が必要かが分かったのです。
それから子供が授かるまでに時間はかかりませんでした。
こう冷静に話せるのは決して子供がいるからではありません。
子供を産めない身体だったら、養子縁組の選択もありました。
養子縁組のパンフレットを持っていたときもあったのです。
自分と愛する主人の遺伝子を残したい、第一にそう考えますが、機能的に無理なら、医療の力を借り、選択肢の最終に、子供を諦めるか養子を考えるかに至るわけです。
DNAを継ぐ事は大事だし、それが自然であるとは思います。
でも私は子供との縁において、DNAがあってもなくても「縁には変わらない」と思っています。
養育能力・経済能力がない親が産んだ子供に罪はなく、「親と縁」というテーマを持って生まれてきました。そういった子をお預かりする事に、私は違和感はありません。
しかし世間一般的に、養子の捉え方に偏見があります。
アメリカのセレブやハリウッドスターは何人も養子を迎えていたり、顔を隠すことなく各国に連れて楽しく過ごしています。それを見る人の価値観はそれぞれだけど、私は美しいなと思っています。
まぁ実際どういう養育をしているのか、実情はわかりませんので、あくまで表面的な感想ですが・・・
私の身近にも、養子縁組で養育した家庭も、乳児院に赤ちゃんを預けた家庭も存在します。
特別な事ではないのです。
そこに真の愛があるのかどうか?
エゴではないか?
心友の発信によって更に悟りを深めた夜でした。
赤ちゃんの幸せをただただ祈った夜でした。
羽音