私はここ数年の間に、

15歳・16歳の愛犬を

老衰で見送りましたが、

 

延命治療はせず

とても穏やかな最期でした。

 

 

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亡くなる当日までご飯もお散歩も行き
眠るように亡くなりました。


私はそれから、

自分もそう死にたいと決めています。

 

 

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医療の介入がなければ、
本来、人も穏やかに死ねると思います。



実は明日、緩和ケア医萬田緑平さんの
お話を聞きに行くのですが、

萬田先生の著書「家で死のう」を読んで
心から共感し、私も思うことを
書かせていただいています。
 

 

 




※ここに書くことは個人的な見解です

 


私は愛犬や過去に夫を見送ってきて
死に対してあまり恐怖がありません。


それはなぜかというと、
全力で生きて亡くなった人を

間近で見てきたから。


そんな人は後悔がないと思うんです。



私は大切な者の生き様や死に様を

間近で見てから全力で生きています。


皆さんは、

今死んでもいいと思えるくらい
全力で生きていますか?


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延命治療をしたら、
死を遅らせることはできるかもしれない。

但し苦痛も伴います。



健康で長く楽しく生きられるのが
もちろん一番だと思いますが、

例え命が短くなっても
本人が本人らしく

生きていられる時間を優先したい。



少なくとも私はそうしたいです。

最期まで自分が自分らしく在りたいから。


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愛犬たちの終末を共に過ごす中で
たくさんのことを学びました。



できるだけ本人の意志を尊重し
無理に何かを勧めない。



特に人間は自分の意志を決めたり
伝えたりできるわけなので、

自分がどう死にたいかを
元気なうちに言語化しておくことは
大切だと思っています。



そして同時に

「どう生きたいか?」も決めて
言語化しておく必要があります。

(私は夫の生前、彼がどうしたいかを
どちらもよく理解していたつもりです)




生きることは死ぬこと(終わり)を
意識することであり
死ぬことはどう生きるかを考えること。


自分が決めた

生き方をできていたら、
潔く死も受け入れられる

と思います。

 



話にまとまりがなく申し訳ないのですが
いつか死生観について
文章をまとめたいなと思っています😌



普段、健康の分野についても

発信していますが



自分の人生や

自分の体に責任を取れるのは
自分だけなんですよ。



お医者さんは責任を取ってくれません。



誰かのせいや

何かのせいにするのではなく


自分が決めて、

自分が選択していくのです。


何事においてもね❤️

 

 

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