ブルーのメッセージ
信頼と信仰 について。
今日はオフで実家に戻っています。
うちは、父が要介護なので、
オフの日、結構実家に戻って手伝っています。
今日は父方のお墓参りで、母が父の親戚の方たちを連れて
富士さんのふもとまで行っているので
私が家で母の代わりをつとめています。
父の病気は、難病といわれるもので
現代の医学では、治癒することは不可能で、
進行(というか、この病気の場合は退行です)
を遅らせることしかできないのです。
発症してから20年で、潮が引くようにだんだん、だんだんと
機能が失われてきました。
父の介護をしている母は
いわゆる、老老介護、にあたる年齢であるのですが、
父が完全に介護が必要になってから、
母は、ヨガとピラティスを始めました。
筋力がないと、介護はできないからです。
そのおかげか、以前よりも、むしろ若返り、美しくなり
いきいきとしています。
介護も大変ですが、将来の不安はもっと重い問題です。
ですが、母は、全く未来への不安を感じてないのですね。
大変大変といいながらも、実に楽しげに毎日を過ごしている。
どうしてそんなことができるのか。
今、ここに100%生きているからなのです。
そして、自分に与えられた状況を、100%受け入れている。
スピリチュアルな教えや、啓蒙的なセミナーなどで
今ここに100%生きることの大切さ
すべてを受け入れることの大切さ、
について、何度も何度も、何度も、聞いていることだし
自分でもオーラソーマを通して教えているのに
本当には、できていない自分がいます。
母にはなぜ、完全に今ここに生きること
全てを受容することができるのか。
彼女は実は、クリスチャンなのです。
信仰と信頼、というものを100%生きているのです。
信仰と信頼が本当に自分の中にあれば、未来への心配が生じる余地が
ないのだ、と母を見ていると思います。
野の花がどのように育つのか、注意して見なさい。
働きもせず、紡ぎもしない。しかし、言っておく。
栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。
今日は生えていて、明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、
神はこのように装ってくださる。
まして、あなたがたにはなおさらのことではないか、信仰の薄い者たちよ。
だから、『何を食べようか』『何を飲もうか』『何を着ようか』と言って、思い悩むな。
それはみな、異邦人が切に求めているものだ。
あなたがたの天の父は、これらのものがみなあなたがたに必要なことをご存じである。
何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。
そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。
だから、明日のことまで思い悩むな。
明日のことは明日自らが思い悩む。
その日の苦労は、その日だけで十分である。
新約聖書 マタイの福音書6章28-34節
中学生からクリスチャンだった母には
聖書の言葉が、イエス様の言葉が、
心身魂に、しみわたっているのでしょうね。
本当にスピリチュアル、というのは
それを、100%自分の人生に活かして、生きていくことなのだと、
まったく自分ではスピリチュアルなどと思ってもいない母から
教えられている今日この頃です。