思えば、シータヒーリングのね、
基礎の授業で体内リーディング(透視)をしてもらってる時、
見てもらってる側の時、
どの部分を見てるかとゆわれなくても
その箇所を体で感じてわかってました。

相手のエネルギーが伝わってるってこと。

インチュイティブアナトミー(超感覚的解剖学)で
魂の再生とゆうワークがあるんですけど、
やってもらってる側で
プレアデスにいたことを思い出して号泣したりとか。
(当時、よくわからないけど、星?くらいの認識で)

これも相手のエネルギーをちゃんと受け取れたんですよね。

エネルギーワークって目に見えないものだけど、
ちゃんと「感じる」ことができます。
少なくとも
私は「感じる」ことができてたわけで。


マンツーマンで習ったのが始まりで、
他の人と比べたことがないから、
他の人がどんなのかわからないんだけど、
私は習ってる時点でそうゆう感覚だったんですね。


それはひとりひとり違うことなのかな、
けっこう敏感な方みたいです。多分。
ただ、これは特別なことでもなく、偉いわけじゃないし、
みんな習って練習したらできてゆくことなんです。
本来みんな持ってる能力のはず。

それで、、、、


この感覚を封印する必要全くないやん!って。
そうやん!って。

何を封印しようとしてたのかと思って。


知人でもスピリチュアルなことや、
ヒーリングとかエネルギーワークなどに
触れたことがない人も多いので、
何度かシータを体験してもらった人ですら
半信半疑だったりすることもあるから
そこを人に伝えるのは難しい部分もありますが、
自分のこの感覚を、
なんで活かそうとしてなかったんだ!と。

ほんとうは封印とゆう感覚でもなかったのですが、
最後に受けた2つの授業がそれはそれでとてもよかったからだけど、
あまりにも他のシータの授業と違う教え方の人に習ったんで、
もう今までのやり方は
違和感を感じてできないなあって思ってたんです。

もちろん、
スピリチュアルな表現に慣れてらっしゃらない方にも対応出来ます。
それだけのことをしっかりこの授業で教えてもらえたから。


でも、
自分の特性を活かすにはそれだけじゃないってこと。
今までずっと習って活用してきたシータのいろんな技法があるんだし。

自分なりに納得しながら、
組み合わせでやって行くのが自分らしいかも。
と思いました。

一人の人に影響を受け過ぎないでいることも大事だなって。

何度もお話してますが、
私は最初からずっと先生に恵まれてて、
自信がなくてペアワークが苦手だったりとかもあったけど、
段階を経て自分も変化してきたのです。

その時その時の自分に必要な先生に出会って来て、
いっぱい習って来たんだもの、
活かせることはいっぱい活かそう。

そう思ったんです。

ふわふわっと実態のないように思われることでも
地に足つけたまま、できるものね。

シータヒーラー同士でセッションすると
見てもらってる側も映像が浮かびながらになったりするけど
ヒーラーさんじゃなくても感覚の鋭い方とのセッションだと
ご自分で胎児期に記憶がさかのぼったりして。
エネルギーワークが目に見えないといっても
感じるとわかるから。

そうゆう感覚に慣れてない方や
自分と向き合うのに慣れていない方、
感覚が鋭い方、
(それはそれで結構しんどくて辛い思いをされてる方もいます)

自分の特性も活かしながら
それぞれの方に寄り添えればいいんだよねっておもって。

当たり前のようなことだけど、基本に返るような思いです。