先日、福祉活動のグループの方と会計の方と
新年会の出し物の小物作りを一緒にしていました。
小物を作っている途中での話。
定例会での議題の事や
どういう風に、活動をしていきたいか。
グループの会員の子ども達は、
重度の子どもが多く、それを時々見る私が日頃思っていることも・・・。
表情の変化もなく、意思表示もできない。
胃瘻や吸痰を繰り返す日々の中で、
家族は何を思い、何を考えているのか。
話の中で、ある子どもさんが
送迎の途中に、心肺停止になり救急搬送された。
それまでは、寝たきりで話もできなくても
嬉しい・悲しい・楽しいなどの表情がみることができた。
でも、その心肺停止をきっかけに
唯一のコミュニケーション(喜怒哀楽の表情)も奪われてしまった。
そんな話を聞く中、
どんな形であっても生きていて欲しいと願う親の思いを感じました。
実際に我が子がそういう状態になっていない
実際にそういう状況の人と接していない人には
そのときに、亡くなってたら・・・なんて、客観的には思うのでしょうね。
そのグループの代表になってくれないかと言われました。
でも、すぐには返事ができない。
皆の想いと将来がかかっているもの・・・。
命とは・・・・
生きるとは・・・・
どういうことなのか、すごく考えさせられます。