3月17日はアイルランドのホリデー、セントパトリックデーミツバ

他の数あるホリデー同様、もちろん詳しい意味も知らぬまま、緑の物で飾り付け、緑の服を着て、コーンビーフ(缶詰じゃないよ)を食べ、ビールを飲みにバーへ繰り出す日くらいしか知らないで毎年過ごす、お気楽さ顔

本当は何の日なの?と今更ながら調べてみたら、アイルランドにキリスト教を広めたセント・パトリックという聖人の命日で、聖パトリックは、アイルランドの守護聖人。彼はウェールズに生まれ、地主の息子として何不自由ない暮らしをしていましたが、16歳の時、村を襲った悪人に囚われ、アイルランドで奴隷として使われました。6年後に逃げ出し、修道院に逃げ込んだ聖パトリックは12年間修行に励み、アイルランドに元々存在したケルトの宗教観を改宗させるのではなくキリスト教とケルトの宗教観を融和させる推奨に励んだそうです。432年から461年に亡くなるまでアイルランド中を布教活動して回り、各地に修道院・学校・教会を建てたと言われています。


なぜ緑?緑

アイルランドは美しく緑多い風景から「エメラルド色の島」と呼ばれている為、「緑」はアイルランドのシンボルカラーであり、アイルランドのお祭り、セントパトリックス・デーには「緑」の服を着て、「緑」のビールを飲み、「緑」の食べ物を食べる風習があるので、緑一色のお祭りになるんだそうです。


なぜクローバー?ミツバ

三つ葉のシャムロックとは、クローバーの類似種で、シャムロックはアイルランド語でクローバーを意味しアイルランドの国章です。聖パトリックが『シャムロックの葉が3つに分かれているのは「三位一体」を表しているのだ』と説明し、キリスト教の布教に利用したことから、セントパトリックス・デーにはシャムロックの飾りをつける風習があるそうです。


セントパトリックスデーはアイルランドの宗教的な祝日なので、教会に礼拝に行くことも行事の一つですが、地元では かなり大掛かりなパレードがあり、現在ではアイルランド国民だけでなく、世界中すべての人々が飲んで、歌って、踊り、アイルランドの豊かな文化や伝統に祝杯をあげ、共に祝う日となってるんですね。


なぜ煮込んだコーンビーフとキャベツを食べるのかは分かりませんでしたが、ただ単にアイリッシュ料理だからでしょうか??


家は、みんなが食べるし、美味しくて好きだからからという単純な理由で、毎年この日はコーンビーフを作って食べますえへ


パックに入った塩漬けスパイス付きの牛肉の固まりと、キャベツ、ジャガイモをお水でコトコト鍋で3時間ほど煮るだけのチョー簡単料理


洋辛子をちょこっと付けて食べるのもおつなもの


今年もおいしくいただきましたハート




まだ3月初めだというのに、異常気象の暖かさと雨で、もう散り始めている今年の桜...sakura01


ぎりぎり、なんとか残っている桜を見ることができました


でも、せっかくのかわいいお花が、咲いたまま ボタボタ落ちていて かわいそう...えーーーん







もったいないので、拾って帰って、お水の入った入れ物に浮かべてみましたさくら


うつくし~~癒し




そうだビックリマーク このお花でネックレスを作ろうビックリマーク


と、思いついたわたくし桜咲く


次の日、針と糸を持って行き、人目も気にせず、一人 木の下で 桜のLei造りレイ


最初、ちょっと恥ずかしかったけど、やり始めたら もう無我夢中で花拾い


はいビックリマーク こんなんできました~~hula




首にかけてみたWハート


あ~~、癒される~~ハート





ミニバージョンを、まず ジャスミンにかけてみたまるちゃん風


似合うかしら?


今年16歳には見えないね。まだまだ、いけそうおんぷ




そして、デージーニコ


食べれないのよ、これは...




チュロくんは、僕、男の子なんですけど...と不満げブルーハワイ後


でも、一番似合ってる と、ママは思うウインク 





昨日、3月11日は、一生 忘れることのできない日となって もう5年....


去年、仙台を訪れたとき、久しぶりに行った駅前の繁華街。

ここは東京か?! と思うくらいたくさんのお店やレストランが所狭しと できていて、ものすごくびっくりしました。

友達が言うには、災害後 復興のために東京からたくさんの企業が進出してきて、2年くらいは仙台、そして福島から遊びに来た人たちで賑わい、繁盛していたそうです。

でも、今ではちょっと不景気になってきたらしいとのことでした。


町中だけを見ると、大きいビルが立ち並び、地下鉄の路線も増え、大都会風の仙台ですが、海岸沿いは まだまだ片付けきれない がれきの山や、整地はされてもそのまんまで、まだまだ復興とはほど遠く、5年前で時が止まっているみたいです。

今だに仮設住宅で暮らしている人たちは、東北3県で9万人もいらっしゃるそうです。

幸い私の家族、親戚、友人たちは、元気で暮らしていますが、あの震災で家族、友人を亡くされた方々の悲しみは一生消えるものではありません。

そして、元気でいても、あの時の恐怖は、ずっと心の中に残るのだろうなぁと思います。

遠く離れた場所にいたわたしでも、あの日のことを思うと、心が痛いです。


仮設住宅で暮らしてきた方々は、PTSDやうつ病を抱えたまま、明日への希望を見つけられずに、思い余って命を絶ってしまう方もいると聞きました。

親を亡くしてしまった子供たちも、一番大好きな、自分を守ってくれる存在、安心して暮らせる居場所を亡くして、未来への不安との葛藤の日々だと思います。

人が心身ともに健康に成長、暮らしてゆくためには、希望と自信、そして安全だと感じさせてくれる人の存在、居場所が必要です。

被災された全ての方々が、希望を見いだされることを 心から願ってやみません。