こんにちは


目に見えないものにお金を払うことに

抵抗があるのが不思議です。


神社のお賽銭を5円以上入れない人は

神様をなにさまだと思っているのだろう。


お祓いに5千円以上払ったことに

抵抗があるのはなぜだろう。



このあたりは金額の問題ではなくて、



自分が自分のためにすること、

自分が自分のために参拝をしたり

自分が自分のためにお祓いをしたり

それらにお金という価値は高くて当然だと

"わたしは" 思っています。

皆がそう思う必要はない。



でもなあ、でも、

自分のためのことにケチケチするのは

寂しくないのかな?



自分のことを喜ばせるのは当然の人生でありたい。



わたしが19歳のときに

それが13年前か、

引きこもりになった時のことを覚えているけど



それは自分のことを喜ばせたかっただけ、



ということだと気づくと、

ほんとうに色んなことが輝いて見えました。



当時は外に出られなくなってしまうんだけど、

そこを無理矢理

外に出なきゃいけない環境だったとしたら、

ゾッとする。

引きこもれる環境があってよかった。



相当な無理をしたことに気づいて、

それを繰り返すことで自分が

自分のことをどのように見ているのかが

わかってきた。



その時はさ、安定剤のような薬を飲んでいたけど

その薬はわたしのためだったわけで


今は薬なんかにお金は一銭も払わず、

自分を喜ばせることにお金を使っている。


やっぱりどう考えても

自分の喜ばせかたは、薬でないものがいい。


わたしは毎日、自分に愛を送っている、

お金より価値があって心に効く。


薬自体は目に見えるけど、

飲み込んだらどうやって分解されて

どう効くのかというのは目に見えない。


だったら、わたしは神社やお寺に

お賽銭として使わせてもらったほうが豊かになれる。


もう少し、頼るところを

自分自身だったり、

神様だったりしてもいいのではないかと思う。


そして1つずつ徳が積まれていることに

喜びを持つ。



愛が1番だよ。







そして、今日の射手座新月へ愛を送ろう。

こういうことでも

自分が喜べるなら、それは素晴らしいこと。








おめでとう㊗️