人間は考える葦であるとパスカルは言いましたが、

考えは意識しても、無意識的にも自然に出てきてしまい

その考えに邪魔されて自分自信や周りを判断審判して

良い悪いを決めつけてしまいます。


善悪は人間個人個人がそれぞれもっているものさしで

決めつけているものだから、それがある以上自分の考えから

自由になれないし、相手のものさしとぶつかって

本当にわかりあうことができない原因になっている。

HITOTSU学ではマインドーム理論というものを使って

人間の脳のクセ、五感覚の脳の機能と限界=脳の限界を

明確にわかることで、考えから自由になる方法を説明しています。


脳の機能や経験によってつくられてしまう自分の判断のものさしが

固定されていることに気づかないから、自由自在に心を移動させる

ことができなくて、こうあるべき、こうでなければおかしい

と硬く固定される観念ができてしまい苦しくなってしまいますが

なかなかそことに気づきません。


じゃあどうすればその固定観念を溶かすことができるのか

ということにやっと目を向けることができても、観念は無意識にまで

なってしまっているので、気づくことは簡単なようで大変でした。


つまり無意識を意識化させることができるようになるということ

ですから、ものすごいチャレンジなります。

でもそれに気づくことができたら、本当の変化は何を変化させれば

いいのかがわかるようになるので、自分の考えに振りまわされ

なくてすむようになります。

考えを道具につかって楽しく生きる、新しい生き方を身につけて

いくことができるようになるのですが・・

習慣というものがあるから、なかなか道のりは遠いです。





考えが苦しみの原因?

自由になれないのは、考えにとらわれるからだ言われ

そうだな、と思いつつも考えるなということではない。

私たちは、余分な考えや感情が多すぎるということでした。

だから心が重たくなって、元気になれない。


私が教わったHITOTSU学では、心すっきり、どこまでも軽い

心で、些細なことにも感動できる自分になること

そのためには、人間とは何なのか、存在とは、時間とは何か

などの物事のしくみがすっきりわかって悩みがない状態で

自分が何のために生きるのか、ミッションもわかって生きる

生き方ができるということです。


それができなければ、いつも心がいっぱいで、

自分の考えで考えの整理はできない


これまで考えることは良いこととされてきましたが、

これからは、ひとつにつながったスッキリした理論と

イメージがない状態で「考える」ことは、病気と同じ

と診断されてしまう時代がくるかもしれません。


自分の固定観念や思い込み、つまり自分の認識が

すべてのものを判断しているし、決め付けているということが

わかりました。


私たちが生きて経験したり、学んだりしていることは

全部思い込みや決め付けの蓄積をしているんですね。

それが悪いわけではないけれど、その思い込みや決め付けに

とらわれて、それはこうじゃなきいけないなどど固定観念から

自由になることができなければ、やっぱり自由ではなくなってしまう。


その「自由」ってなにか?

質問されても答えることができなかった。

「自由とは、自分が理由ということなんですね」と、ノさんが教えてくれた。

つまり、自分がすべての考えや感情、すべての存在の出発点だ

ということです。

だから、人間とは何なのか、存在のメカニズムはどうなっているのか

がわからなければ、本当に自由になることができない

ということです。

なるほど、自分の肉体や精神はどのようにできているのか、

自分の考えや感情がどこからくるのか、明確にわからなければ

考えや感情に振り回されて、コントロールできない。

たとえお金がたくさんあっても、どこに行くことができても

本当の自由になることはできないんだと思います。


自分の考えや感情を自由に使うっていうことが普段できている

って思ってしまいますが、実は蓄積した固定観念を組み合わせ

てみて、表現したり、自分を納得させたりしているだけ

だったんだと最近はわかるようになりました。


だから本当の自由がどいうものなのかも知らない

みんなそうなのかもと思います。

自分の思い込みを全部くずして、自由に再構築することができたら

それが本当の創造ということになるのでしょう。