前回の続きではないのですが、
フレディから伊丹さんへ時計のプレゼント。
それを購入した原宿のカルティエ。
カルティエはフランスのブランド。
そのカルティエが入っていたパレフランス。
当時のカルティエの雰囲気を知りたいなと
⇧何も見つからず
色々見ていたらこんなところに
フレディも歌っていた
"トゥッティフルッティ"
Queen - Tutti Frutti (Live In Budapest, 1986)
ブダペスト、出だしがいいよねー。
ご存知の方もいるかと思いますが
この"トゥッティフルッティ"ってば、
カルティエのジュエリーの名でもあったの
あ。わたしゃ全然知りませんでした。
"トゥッティフルッティ"
ネックレスやブローチもあるなか
ジュエリーの聖杯として賞賛されている
ブレスレット。
こちらのブレスレット
去年、サザビーズ ニューヨークで
開かれたオンラインオークションにて
約1億4千万円で落札されたとか。
オンラインオークションでは最高額
何年か前に、カルティエのコレクションが
展示されたの!!
チケット頂いたから覚えてるのそれ!!
普段アクセサリー付けない私はスルー。。。
何やってんのよー!!!わたし。
☆
"トゥッティフルッティ"の歴史をみると
カルティエとインドは縁があり、
遡るとそこにはイギリスが関係してくる。
1902年、ロンドンに支店をオープン。
1909年、カルティエ創業者の孫の1人
ジャック・カルティエが
ロンドン支店の経営を引き継ぐ。
1911年、ジャック・カルティエが
初めてインドを訪れる。
ロンドン支店にて、マハラジャ達も
ジャックが持参するジュエリーに
魅了され友好な関係が続く。
ジャック・カルティエは
その後何度もインドを訪問し、
ジュエリーに彫刻を施す文化に触れ、
多様なインスピレーションを得る。
インドが産地の希少なカラフルストーン
エメラルド、ルビー、サファイアに
葉や花、果実の形の彫刻を施す。
そのジュエリーが"トゥッティフルッティ"
こうした技法はインドの伝統的な
ジュエリーを象徴するものだそうです。
そしてその技法は、
16世紀のムガル帝国にまで遡ります。
ムガル帝国とはwikiによりますと、
インド亜大陸の大部分を支配した
イスラーム王朝。
そして、こんな本を発見
やっぱり、何かしらあるんだわー。
でもねこの本、読めていないの。
ってか読めないの!!お高いのよ。
わりと規模のデカい地元の図書館にも
貯蔵していなくて。
国会図書館でも行ってくるしかないかな
そうして、
イギリス国王にもなったエドワード7世から
「王の宝石商、宝石商の王」と称えられ
英国王室にも愛されるカルティエ。
フレディ。
当たり前だけどイギリス好きだもんね
フレディが好きなリトル・リチャード、
エルビス・プレスリーが歌う
トゥッティフルッティ。
フレディが大切な人にプレゼントする
カルティエ。
そのカルティエが誇るジュエリー
トゥッティフルッティ。
そして、そのジュエリーの始まりは
インド、さらにはペルシア。
フレディがそれを知っていたのかは
当然わからない。
でも、フレディだもんな〜。
知っていたよね。
長年愛用するものを、
簡単に選んだりするハズがないから。
必ず、愛用する理由があるから。
☆
扱っているものに差はあるけれども
私ね、なんでフレディって
エルメスでなくてカルティエなんだろう?
と思ったことがあったのです。
だって、エルメスってHERMES
マーキュリーってことだから。
でもこのHERMESの名の由来は、
マーキュリーという神話よりも
エルメスさんという創設者の名前。
フレディにとっては、
名という事実だけで、
自分に繋がるマーキュリーでは
なかったのかもね。
そして、今回のカルティエだったわけです。
それだけが理由ではないだろうけれど、
理由の一つにはなったんじゃない?
やっぱり、フレディってそうなんだって
。。。勝手に思っている。
私は一体どこに向かっているの?
⇩⇩⇩⇩⇩ココ。
ちょっと待ってフレディ♡
こういう件に浮ついているのって少数派?
大丈夫だよ。エリちん。
もっと面白いこと見つかるといいね!!
おーーー。その前髪が好き
私の師匠スヌーピー。
1977年にカルティエとコラボ済み。
やっぱりすごいワンだったわん。
ディスカバー・クイーンから
今週は、Under Pressureにハマる。
ンババベ、ンババベ、
イデラ、イデラ、ザッツオッケー
デレレ、タラララッタ、オッケィ
いいわぁー。
I Want It All
ロジャーは職人だね!!かっこいいね。