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この著は、講談社が2000(平成12)年から刊行した「日本の歴史」シリーズの最初の巻にあたり、「日本社会の歴史」(全3巻・岩波新書)とともに、歴史家網野善彦の最晩年の著書です。
 
 
 
この手の通史のシリーズの一つの巻であるにもかかわらず、当時、非常に売れたと聞いています。
 
 
私も何度も読み返していますが、理屈抜きにのめり込んでしまいます。概略の解説なんかでは,とても内容を伝えることは出来ません。
 
 
 
これから本文の中でも、特に印象に残った部分を何回かに分けて抜粋してご紹介します。
 
 
 
《‥とくに列島の東部と西部、フォッサ・マグナの東と西では、社会の質が異なっていると考えされるほどの差異がある。「日本の社会が均質である」などというのも、まったく根拠のない思いこみといわなくてはならないのである。》





《この多様な列島諸地域の中で、最初の本格的な国家、「日本国」が七世紀末に確立するが、それが列島全域をおおった国家でなかったことも、案外、意識されていない。ちょっと考えればすぐにわかるように、この国家は列島西部、北部九州、四国、本州西部を基盤とし、ヤマトに中心を置き、異質な地域と意識されていた中部以東、関東、東北南部をその国制の下に入れたのみであり、南九州以南、東北北部以北はその中に入っていなかった。日本国は軍事力によってこの地域を侵略、制服しようと試みたが、百年以上にわたる断続的な侵略に対して東北人は頑強に抵抗し、東北最北部はついに十一世紀後半から十二世紀まで、日本国の国制は及ばなかったのである。もとより北海道・沖縄は十九世紀半ばまで日本国の外にあり、沖縄には十五世紀以降、日本国とは別の国家、琉球王国が成立していた。明治以降の近代の日本国は、やはり軍事力を背景にこれを併合し、アイヌを強制的に日本人にしたのである。また、日本国内部にも、東国と西国の社会の異質さを背景に、別個の王権が並立したこともあったのであり。日本国の分裂する可能性もありえた。》
(以上26ページより抜粋)
 
 
この記述の部分に見られるのは、「日本国」が現在の国土を確保するために、古代から周辺地域(現在の東北、南九州)に侵略を繰り返し行っていたという事実です。
 
 
 
現在使用されている社会科の歴史教科書でも、この部分の記述には「侵略」という用語は使われていないのではないでしょうか?
 
 
 
教科書の読み方によってば。もともと本州、四国、九州は日本国の領域であり、その領域の中で発生した反乱の鎮圧のために、南九州や東北へはるばる遠征群を派遣したように読み取れます。
 
 
 
「日本国の分裂もあり得た」とは、京都の王権と平将門の政権の両立、また京都の王権と鎌倉幕府の両立、また室町幕府と関東管領の両立から対立を差しているのだと思えます。
 
 
 
網野善彦氏の晩年の仕事の中心は、「日本国」、すなわち七世紀末から、二十一世紀の現代に至るまで、連綿と続いている「日本国」の徹底的な相対化と総括にあったと言えます。
 
 
 
「日本」とは地名ではなく、国の名称(=国号)であるということを、まず把握していただきたいと思います。