この日本列島の各地の権力者や、日本国か成立した7世紀末から以後、中央政府が中国を模倣して律令体制を確立した後も、宮中に宦官を置くことをしませんでした。



このことを「日本人が中国の習慣を何もかも受け入れた訳ではかく、選択する目を持っていた。」として、賞賛する向きがありますが、そんなに簡単に割り切ってよい問題なのでしょうか?



この日本列島を始め、太平洋の島々は、牧畜や家畜の飼育の文化がないのですが、このことは人類としては極めて少数な部類に入ると考えられます。


だいたい牛ま馬も日本列島には生息していなかったようですし、もっと謎が多いのが豚です。



佐原真によると、弥生時代にはいたようですが、その後突然、日本列島から姿を消し、今度現れのは、室町時代に入ってからだそうです。一千年の空白の期間があるようです。



この「牧畜の文化」を欠いていることが、宦官を取り入れなかったことと密接に関わりあっていると思われます。



「宦官」なる存在は、中国を訪れたことのある日本列島人が、まだ少ない時代であっても、中国の宮殿では必ず目撃したことがあるはずです。



彼らは当然通訳に聞いたことでしょう。「あれは一体何者ですが?男のようにみえるし、女のようにも見えますが。」



通訳は答えます。「彼らは宦官と云って生殖機能を切り取られたものです。王族の方々 に仕えております。」



この説明を聞いても、家畜の去勢を知らなかった日本列島人には、ビンとこなかったことでしょう。家畜の飼育を知っていて、後世カストラートを生み出すヨーロッパ人なは家畜の去勢と頭の中でつながったことだと思われます。



だから、「マラ切り」、「羅刹切り」と称して、誤ったイメージが伝えられたのでしょう。去勢の本質は生殖腺を取り去ることにあるのにも関わらず、です。



だから、本当は宮中に宦官を置きたかったのだけど、宦官の「作り方」が解らなかったのが真相ではないかと思われます。



決して当時の日本列島人が。中国の悪習を、選択して輸入しなかったのではないと、私は考えています。