寅さんの柴又から江戸川を千葉の側に渡ると、むかし矢切村と呼ばれた地域があります(現在は松戸市)。細川たかしさんの歌でも有名な「矢切の渡し」がある所ですね。小説『野菊の墓』(1906)の舞台になったのがこの矢切村です。
村の旧家の次男である15歳(数えですから満では13歳)の政夫と、この家に奉公に来ていた従妹の民子(17歳、満15歳)との淡い初恋と儚い悲恋の物語。もちろん聖子ちゃんが初めて主演した映画の原作です。

 

▼伊藤左千夫

 

この小説を書いた伊藤左千夫(1864~1913)という文人は、文学史上では小説家としてよりも歌人として有名です。
正岡子規の『歌よみに与ふる書』に感銘を受けた左千夫は、三歳年下の子規に弟子入りしますが、その二年後に子規は亡くなってしまいます。子規の遺志を継いだ左千夫は、近代和歌の形成に尽力し、いわゆる「アララギ派」と呼ばれる歌人たちを育てました。正岡子規~斎藤茂吉を繋ぐ重要人物だったわけです。
俳句や短歌を嗜む趣味などない私ですが、野菊を歌った左千夫の短歌をひとつだけ上げておきましょう。

 

  秋草のいづれはあれど露霜に痩せし野菊の花をあはれむ

小説『野菊の墓』が発表されたのも、元々は俳句雑誌だった「ホトトギス」誌上でした。子規人脈の一人である夏目漱石は、同じ「ホトトギス」に『吾輩は猫である』を連載している最中でしたが、『野菊の墓』を読んで感銘を受け、直接左千夫に手紙を送って賞賛しています。

 

▼漱石から左千夫への手紙

 

▼上記の書き下し訳

 

当時の文壇では、子規が提唱した「写生」の概念を小説にどう適用するかが一つの課題でした。子規の影響を受けた初期の漱石も、その問題に腐心していたはずです。そこに現れた『野菊の墓」という小説。
前半は「写生文」的な筆致ですが、民子の死の場面以降、主観と感情が先行し「写生」の粋を逸脱してしまっています。
「写生文派」?からはその点をダメ出しする批評も多く、あるいは左千夫の前近代的・江戸草紙的な世界観を古臭いと断ずる向きも多かったようです。

が、漱石はあくまで左千夫の小説を擁護しています。
おそらく、漱石はすでに「写生」の限界を感じ、特に感情表現における「写生文」の限界点を『野菊の墓』に見定めたのではないでしょうか?

不如意にもその限界点を打ち破ってしまったこの小説に、やってくれたな、左千夫君!っていう感じです。

 

▼『野菊の墓』初版本

 

左千夫の高弟である斎藤茂吉は、この小説の技巧的な稚拙さを難じながらも、

全力的な涙の記録として、これほど人目をはばからぬものも世には少ないであろう

と評しています。
そうなんです、ストレートど真ん中のお涙ちょうだい小説、それでいいじゃあありませんか^^;

 

 

そして、ストレートど真ん中といえばもちろん聖子ちゃん。

さっそく映画の話に行っちゃいましょう!

 

 

・・・と、聖子ちゃんに行く前に忘れるわけにはいかない映画がもう一つあります。

若い頃TVで見た覚えがありますが、今回 Amazon Prime で改めて見てみました。

木下恵介監督の『野菊の如き君なりき』(1955)。

 

 

原作では民子の死から10余年後の政夫の回想という形ですが、この映画では老人になった政夫が久しぶりに帰郷し、船の船頭に幼き日の初恋を語って聞かせる、という構成を取っています。老人役は笠智衆、こういう役をやらせたらもう鉄板ですね。

逆にこの映画の政夫はかなり若々しく、この恋を成就するには政夫は幼すぎたのだと直感的にわかります。
楕円の白い縁取りがなされたモノクロームの回想シーンが、古いアルバムをめくるように哀愁を誘いますなぁ。

 


本家越えなどとよくいいますが、この映画は原作の詩情を数段膨らませた本家越えの逸品でしょう。というよりも、戦後忘れ去られていた『野菊の墓』という小説が、この映画をもって有名になった、というのが事実のようです。
それから、随所に老人の想いを綴る短歌が配されますが、これらは本作のためのオリジナルの歌なんでしょうか?最後に老人が民子の墓に参るシーンだけ、伊藤左千夫本人の歌が使われていました。

  秋ふけて野もさびゆけばみ墓辺に鳴くかこほろぎ訪ふ人もなく


1977年には、山口百恵さんの民子役でTVドラマが作られました。

つべの動画で見る限り、百恵さんは町娘の風情で、主題歌も演歌調。太秦で作った時代劇っていう感じでちょっとイメージが崩れますよねぇ。百恵さんは奇麗だけど、野菊じゃないんですよ・・・

 

 

 

小説の中で最初に民子の様子を記した部分はこうなっています。

 

痩せぎすであったけれども顔は丸い方で、透き徹るほど白い皮膚に紅味をおんだ、誠に光沢の好い児であった。いつでも活々として元気がよく、その癖気は弱くて憎気の少しもない児であった。

 

 

こ、これは聖子ちゃんそのものじゃないですか!
やっぱり民さん役は聖子ちゃんで決まりです!!

 

▼野菊の墓(予告編)

 

松田聖子の初期の歌唱が「たかがアイドルの歌謡曲」として切り捨てられたのと同様、この映画も、相手役募集の派手なイベントで始まり、マスコミの喧騒と攻撃に晒され、映画そのものをきちんと批評する向きはほとんどありませんでした。
これが監督第一作である澤井監督も、トップアイドルの主演ということで相当なプレッシャーだったでしょうし、映画作りのみに専念すこともできず大変だったでしょうねぇ。
 

撮影期間中、聖子ちゃんは毎週のようにザ・ベストテンで撮影現場から「夏の扉」を歌っていました。クランクアップの日のトーク部分をチョットだけお見せします。

 

 

全体を見た印象では、この映画は伊藤左千夫の原作の映画化というよりは、先に上げた木下作品のリメイクと言っていいのでしょう。老人の回想という設定も同じですし、随所に(原作になく)木下作品を踏襲した場面が見られます。


この映画で思い切ったオリジナリティを出したのが、民子の輿入れの行列に政夫が闖入し一房のリンドウを渡すシーン。原作でも木下作品でも、民子の結婚の話は後に女中の増子から聞かされますが、これを塗り替えてドラマチックな山場を持ってきています。
この手のドラマタイズはやりすぎると臭くなりますから賛否両論あると思いますが、私なんぞは、「政夫よく戻ってきた、かっこつけてリンドウなんか渡してる場合じゃないだろ、このまま民子をかっさらって逃げろ~!」と心中叫んでしまいました。まあ、『卒業』じゃあるまいし・・・^^;

 



『野菊の如き君なりき』を本家超えと言いましたが、今回再見して、むしろこの聖子作品が左千夫の原作のイメージに一番近いような気がするんですよねぇ。
淡々と哀愁を帯びた運びの木下作品に比べ、原作には作者の感情が抑えきれずにあふれ出てしまうところがあって、その感情の奔流を澤井監督が民子の輿入れシーンに昇華させた、といっては言いすぎでしょうか?
あるいは、聖子ちゃんと桑原君の芝居の稚拙さは、左千夫の小説技巧の稚拙さと微妙にリンクするするんですよ。そして初心な二人の不器用さや一途さ、そして若さを絶妙に表現しているような気さえします。
まあ、やっぱり穿ち過ぎでしょうな。

 

▼千葉県山武市の伊藤左千夫記念公園にある「政夫と民子像」

 

鳴り物入りでクランクインした撮影ですが、澤井監督は松田聖子という素材をどう生かすかに相当腐心したと思います。聖子ちゃんのアップシーンも結構多いですが、朝日に光る産毛がかすかに震えるシーンなどは息をのむ美しさですね。いい画を撮ってくれました。

 

 

 

さて、聖子ファンにとって『野菊の墓』といえば主題歌の「花一色〜野菊のささやき〜」ですよね。
先日、聖子ちゃんの着物のMIX動画をつべにUPしたんですが、「夜のヒットスタジオ」で浴衣で歌った「花一色」を入れるのを忘れて後悔しました。政夫君の前で歌う「花一色」を聴いてください。

 

▼花一色〜野菊のささやき〜/作詞:松本隆 作曲:財津和夫

 

この映画のサントラ盤レコードには、もう一曲「野の花にそよ風」という財津和夫さんが作詞作曲した曲が入っていましたが、映画では使われていませんね。

私はこのサントラ・アルバムの消息を知りませんが、映画で使う予定が最終的にカットされたのか、あるいはサントラアルバム用に書き下ろしたのか?
いずれにしても、この聖子ちゃんの歌唱も瑞々しくて絶品ですねぇ。


▼野の花にそよ風/作詞作曲:財津和夫

 

そういえば、『SEIKO MATSUDA 2020』に収録された「風に向かう一輪の花」も財津さんが久しぶりに聖子ちゃんに提供した曲。そして「花一色」と同じ三拍子ですね。花歌とワルツタイム、不思議な符牒です♬

 

▼風に向かう一輪の花/作詞:松田聖子 作曲:財津和夫

 

ホント聖子ちゃんほど花が似合う人はいませんね^^

 

ということで、今日はこの辺で・・・

映画を見た聖子ファンは多いでしょうが、一度小説の方も読んでみてはいかがでしょうか。ごく短い短編ですのですぐ読めますよ。

青春文庫にも入っていてネットで読めますし、読むのが億劫な人は朗読動画で聞くこともできますしね。

 

 

 

では~~パー