*先般、書きかけの記事を間違って投稿してしまい、失礼いたしました^^;
いいね!やコメントをいただいた方々にはホント申し訳ありません。
その後ちょっと忙しくて完成が遅くなってしまいましたが、再度UPいたします。
聖子ちゃんがアイドル時代にお世話になったビッグバンドについて書いてみようと思い立ちました。が、私は米国Jazz専門で日本のビッグバンドについてはあまり詳しくないので、大した話はできません。まあ、画像や動画を見ながら一緒に楽しんでいただければ幸いです。
いわゆる「ビッグバンド」というのは、平均15人~18人ぐらいのホーン楽器中心のメンバーからなる(主にジャズ系の)楽団のことです。
たいてい、サックスが4~5本、トロンボーンが3~4本、トランペットが4~5本のブラス陣に、ピアノ、ベース、ドラムス(+ギターやパーカッション)という布陣です。
本場アメリカでは、1920年代から40年代ぐらいまで隆盛を誇りました。ハーレム(NY)で活躍したデューク・エリントン楽団やカンサス(のちにNY)を拠点に活動したカウント・ベイシー楽団は別格として、特に、ジャズがメジャーなポップスでもあったスウィング時代は、多くの白人ビッグバンドが乱立しました。いちいち名前を挙げませんが、ジャズに興味のない方でも、映画にもなったベニー・グッドマンやグレン・ミラーのバンドはご存じかと思います。
基本的には「ダンスバンド」ですが、演奏が高度化するにしたがって聴く音楽に変化していきました。
▼Count Basie Orchestra / Corner Pocket
こうしたビッグバンドには必ず専属シンガーがいて、有名どころではトミー・ドーシー楽団の専属歌手だったフランク・シナトラ、一時ベニー・グッドマン楽団のバンドシンガーだったペギー・リーとか、あと、スタン・ケントン楽団にはケントンガールズと呼ばれたジューン・クリスティやアニタ・オデイがいました。ドリス・デイはレス・ブラウン楽団だったかしら。
で、このビッグバンド+専属シンガーのセットで各地のボールルームなどを巡業して回るというのが、昔の音楽エンタメの典型的な形だったわけですな。
▼Tommy Dorsey with Frank Sinatra / The One I Love
おっと、”日本の”ビッグバンドの話でしたね・・・。
日本でも、戦前から米国のビッグバンドに憧れて結成されたバンドがありましたが、当然ながら戦時中は鬼畜英米、敵国の音楽はご法度です。(密かに軍楽隊の中でジャズ演奏がなされていたようですが・・・。)
終戦後、進駐軍のキャンプで雇われたバンドメンバーを元に、ビッグバンドがいくつも結成されました。
戦後から1950年代頃までに結成されたビッグバンドの中でも、特にメジャーなバンドを「ビッグ4」と言ったりします。
・森寿男&ブルーコーツ
・原信夫とシャープス&フラッツ
・宮間利之とニューハード
・高橋達也と東京ユニオン
これに「岡本章生とゲイスターズ」を加えてビッグ5と言ったりもします。
(リーダーは何代か替わったバンドもありますが、80年代前半-聖子ちゃん時代-のリーダー名で記載しています。)
このうち3バンドのリーダーが出演した「クイズダービー」(1980)のレア動画があります。これはもう大橋巨泉のジャズ人脈の賜物ですね^^
▼クイズダービー~ビッグバンド特集~
このほかにも、有名どころでは・・・
・北野タダオとアロージャズオーケストラ
・スマイリー小原とスカイライナーズ
・小野満とスイングビーバーズ
・豊岡豊とスイング・フェイス
それから、ちょっと後発ですが
・ダン池田とニューブリード
まだまだいっぱいありました。
あと、戦後はラテン系のビッグバンドも多かったですね。砂和照と東京キューバンボーイズ、チャーリー石黒と東京パンチョス、有馬徹とノーチェ・クバーナ、等々。
▼松田聖子/夏の扉~クイズ・ドレミファドン
(伴奏は、踊る指揮者として有名だったスマイリー小原とスカイライナーズ)
ということで、日本の主なビッグバンドをそれぞれ見ていきましょうか。なるべく聖子ちゃんなど80年代のTV番組の伴奏シーンを出したいんですが、昨今のYouTubeは危険動画が多すぎてちょっと難しそうです・・・^^;
■森寿男&ブルーコーツ
1936年(昭和11年)に当時の東京六大学の学生達によって結成されたバンドが母体だそうで、日本では最古参のビッグバンド。1946年に復員した旧メンバーを中心に再結成されました。
初期のピアニストに黛敏郎さんや秋吉敏子さんが名を連ねているのがすごいですね。
リードTpだった森寿男さんは3代目のバンマスです。
80年代のTV番組にはあまり出ていなかった気がしますが、ミュージックフェアのクレジットに名前が出ていた記憶があります。
▼森寿男&ブルーコーツ/Cocktails For Two
■原信夫とシャープス&フラッツ
1951年結成。私がガキの頃は、紅白歌合戦の紅組の伴奏はシャープス&フラッツ、白組は小野満とスイングビーバーズでしたね。
スウィングからモダンまでマルチでこなすハイレベルな演奏で、50年代から60年代頃は日本のトップ・バンドでした。(国内外の)芸能界人脈も幅広く、江利チエミさんや美空ひばりさんが洋楽をやる時はたいていシャープが伴奏でした。
▼美空ひばり/Lover, Come Back To Me
このひばりさん、すごいですねぇ。マジでジャズやってたら世界的なジャズ・シンガーになってたんじゃないでしょうか・・・^^
原信夫と美空ひばりの因縁は深く、原さんは「真っ赤な太陽」などのポップ曲をひばりさんのために作曲しています。
それから、初期のシャープには、中央大学在学中の谷敬さんが2年間ほど在籍していましたね。
▼原信夫とシャープス&フラッツ with 谷敬ほか/A String Of Pears
原信夫さんは94歳の長寿を全うされ、2021年に鬼籍に入られました。
▼原信夫とシャープス&フラッツ/スペースシャトル・スペシャル
閑話休題。
ちょうど終戦頃まで米国で隆盛したスウィング系のビッグバンドですが、戦後のジャズはビバップを端緒とするモダンジャズの時代に入り、少人数のコンボ・スタイルの演奏が主流になっていきます。戦後不況の影響も相まって、大所帯のビッグバンドの多くは解散を余儀なくされました。
そんな中、いち早くビバップ・イディオムを取り入れ、モダン・スウィングというべきサウンドを生み出したのが、ウディ・ハーマン楽団です。
▼Woody Herman(2nd herd)/FOUR BROTHERS
ハーマン・バンドはメンバーの変遷や時期によって、1stハード、2ndハード、3rdハード・・・といった呼ばれ方をしました(ハードはhardではなく「herd」で、動物の群れの意)。特にスタン・ゲッツ、ズート・シムズらの「Four Brothers」を擁した2ndハードは有名でした。
これにあやかって、大橋巨泉さんが命名したのが「宮間利之とニューハード」だったんですね。
■宮間利之とニューハード
1950年に母体となるジャイブ・エーセスを結成。1958年にニューハードに改称。
60年代から70年代にかけては、先進のモダンジャズをソースにしたアルバムを何枚も発表していました。私がジャズに興味を持ち始めた頃、ニューハードの「ドナ・リー」を聴いて、「日本のバンドでもこんな演奏ができるんだ!」とびっくりした覚えがあります。
▼宮間利之とニューハード/Donna Lee
この曲は通常チャーリー・パーカー作とクレジットされますが、実際は若き日のマイルス・デイヴィスの作曲です。どうでもいいですね^^;
1974年にはモンタレー・ジャズ祭、1975年にはにニューポート・ジャズ祭に出演して絶賛されました。
聖子ファンにとっては、ニューハードといえばベストテン、1980年代のザ・ベストテンの伴奏はほとんどがニューハードでした。
▼松田聖子/風は秋色~ザ・ベストテン
ストリングスもいるので、指揮者は宮間さんではなく、TBSの音楽監督だった長洲忠彦さんです。
宮間利之さんは残念ながら2014年に他界され、現在は川村裕司氏をバンマスとして活動されています。
■高橋達也と東京ユニオン
1964年結成(初代リーダーは野村良)。69年にテナーの名手・高橋達也がリーダーとなってからは、かなり新しいジャズやフュージョン曲にも挑戦していました。
▼高橋達也と東京ユニオン/クリスタル・キャンディ
1980年にはモンタレー・ジャズ祭への出演を含む米西海岸ツアーを行ない、ハービー・ハンコックらと共演したアルバムを残しています。70年代後半から80年代は、名実ともに日本のトップ・ビッグバンドでした。
▼1980/10/12 レッツゴーヤング~凱旋帰国した東京ユニオンの紹介シーン
80年代の東京ユニオンはNHK「レッツゴーヤング」のレギュラーバンドでしたので、聖子ファンにもなじみ深いと思います。オープニングの「ムーンライトカーニバル」では、いつも歯切れのいい演奏でワクワク感を演出していましたね。
(忙しい時は他のバンドが代役を務めることもありました。)
▼1983/10/30 レッツゴーヤング
あと、昭和人間にはこんな演奏が耳に残っているかもしれませんね。
▼西部警察・メインテーマほか(演奏:東京ユニオン)
残念ながら、高橋達也さんも2008年に他界されました。
■岡本章生とゲイスターズ
1949年結成(初代リーダーは多忠修)の老舗バンド。
グレン・ミラーなどのスウィング・ナンバーが得意だったと思います。
▼ゲイスターズ with 阿川泰子/Sentimental Journey
1972年にイケメンTpの岡本章生さんが7代目バンマスに就任してから「8時だヨ!全員集合」のレギュラーバンドとして、一般にも身近な存在になりました。
▼松田聖子/裸足の季節~8時だヨ!全員集合
カトちゃんの「ちょっとだけよ」のシーンで使われた「タブー」は、毎回、岡本章生さんが生で吹いていましたね。
▼岡本章生/Taboo(後年のゲイスターズ・ライヴより)
もちろん他の番組でもいろいろと伴奏をやっていましたが、やはりTBS系が多かったようですね。
▼松田聖子/チェリーブラッサム~たのきん全力投球
■豊岡豊とスイングフェイス
東京キューバンボーイズのドラマーとして活躍した豊岡豊氏が結成(結成年がはっきりわかりません)。
70年代はテレ朝系の「23時ショー」(11PMの裏番組)のレギュラーバンドだったようですが、80年代以降は主にテレ朝・テレ東の番組で伴奏することが多かったようです。
テレ東系では「夏祭り&年忘れ~にっぽんの歌」や「ヤンヤン歌うスタジオ」、テレ朝系では「歌謡ドッキリ大放送」や「ミュージックステーション」などで伴奏。「日本歌謡大賞」のテレ東担当会(83年など)でも伴奏を担当していました。
▼松田聖子/ガラスの林檎~ヤンヤン歌うスタジオ
↑ヤンヤンの伴奏はスイングフェイスが多かったですが、なぜか指揮はチャーリー石黒さん(東京パンチョスのリーダー)。やはり、ストリングスの指揮を兼ねてということなんでしょうか?
豊岡さんはひょうきんで芸達者な方で、いかりや長介が荒井注脱退後のドリフメンバーとして勧誘したという話が残っています。2012年死去。
ジャズ系の演奏映像はあまり残っていないんですが、下記は和田アキ子さん、MALTAさんとの共演。羽鳥幸次さんがバンマスを引き継いだ後の演奏です。
▼和田アキ子・MALTA・スイングフェイス/Let's Face The Music And Dance
■ダン池田とニューブリード
パーカッション奏者だったダン池田により1969年結成されたニューブリードは、間もなくフジTV「夜のヒットスタジオ」の専属バンドになり、16年の長きにわたって夜ヒットの伴奏を務めました。
▼松田聖子/夜ヒット7年間の変遷
他の番組でも、フジTV系の「オールスター家族対抗歌合戦」、「スターどっきり㊙報告」、「ズバリ!当てましょう」、NHKの「ひるのプレゼント」などなど、主にフジTV・NHKの番組に出演していました。当時のビッグバンドとしては一番TVでの露出が多かったバンドかもしれませんね。
▼松田聖子/青い珊瑚礁~花の金曜ゴールデンスタジオ
NHK紅白歌合戦でも、シャープス&フラッツの跡を継いで紅組の伴奏をやっていました(1972年から1984年まで)。
1985年に「夜のヒットスタジオ」(第1期)が終了するのに合わせて、ダン池田さんはバンドリーダーを降板し、元ブルーコメッツの小田啓義さん、その後さらに同じく元ブルーコメッツの三原綱木さんに交代しています。
下記は三原綱木さんになってからのジャズ演奏。
▼三原綱木&ザ・ニューブリード with 今陽子/スイングしなけりゃ意味ないね
これは1931年のエリントン・ナンバーですが、原題は「It Don't Mean a Thing,
If It Ain't Got That Swing」といいます。 ん?文法的に・・・^^;
ダン池田さんは退団直後に『芸能界 本日モ反省ノ色ナシ』という暴露本を出し、ベストセラーになりましたが、業界人のヒンシュクを買い、芸能界から干されました。
ネットでも人の悪口はほどほどにしましょうね^^;
ダン池田さんは2008年に亡くなられています。
■庄崎正訓とガッシュアウト
トロンボーン奏者の庄崎正訓さんが1971年に結成。タレントのライブなどでバックバンドを務めることが多かったようです。
1978頃からほぼ「日テレ専属バンド」となり、
・紅白歌のベストテン→ザ・トップテン→歌のトップテン
・カックラキン大放送!!
・ごちそうさま
・日本テレビ音楽祭
・24時間テレビ
など、日テレ系の番組ではなくてはならないバンドでした。
▼松田聖子/青い珊瑚礁~紅白歌のベストテン
▼松田聖子/Eighteen~紅白歌のベストテン
想出未来Ⅱさんから二つお借りしました。歌ベスやトップテンでは、聖子ちゃんの萌え動画がたくさんありますが、今は危険で上げられないのが残念。
ガッシュアウトの演奏は歯切れよく音のバランスもベストで、ポップスの伴奏としては最良のバンドだったと思います。
ということで、まだまだ上げたいバンドがありますが、長くなったのでこの辺でお開きといたします。
例えば、80年代の聖子ちゃんは3か月に1枚はシングルをリリースしていました。他のアイドル達も同じようなハイペースで新曲を出していましたから、これに対応して伴奏するバンドも大変だったと思います。ほぼ初見の楽譜で演奏する場面も多かったんじゃないでしょうか?
(↑関係ない楽譜の例です)
ビッグバンドのホーン楽器はB♭やE♭キーの楽器が多く、時間があればその楽器のキーで書かれたパート譜を渡されますが、時間がなければC調で書かれた楽譜を頭の中で移調しながら吹く、なんてこともあるんですよ。私も経験がありますが、これは地獄です・・・^^;
YouTube動画などを見ている我々は、「ギターソロ下手くそ!」とか「演奏バラバラ!」とかつい批判してしまいますが、私に免じて許してやってくださいませ。
80年代にはすでに世界でも稀だった「生演奏&生歌唱」という文化を支えたビッグバンドの皆さんに、今更ながら感謝、感謝です!
では~~