デビュー以来、その圧倒的な「声」でファンを魅了してきた聖子ちゃん。でも5枚目のシングル「夏の扉」を歌っていた後半あたりから、その声に陰りが出始めます。

そこで今日は、聖子ちゃんがいつ頃どんな原因で声の不調をきたしたのか、動画を見ながら(聴きながら)検証してみます。

突然ですが、最初に結論を言ってしまいます^^;

この時期の動画を検証した結果、聖子ちゃんの声に明らかな不調が最初に見られるのは、1981/06/01の「ザ・トップテン」(6/8の可能性もあります)ではないかと思います。

 

▼ 1981/06/01 ザ・トップテン 「夏の扉」

(画質の良いフル動画がなく、解像度の低い映像ですいません^^;)
 

声がかすれて思うように出ないっていう感じですね。気力で歌いきっていますが。
いったいどうしたんでしょう?
ちなみに、この6/1の直前の動画を捜してみると、この3日前、5/28の「ザ・ベストテン」があります。例の松本城からの中継ですね。

 

▼ 1981/05/28 ザ・ベストテン 「夏の扉」

 

この時は野外中継の最悪の条件の中、見事な「夏の扉」を披露しています。
声もツヤッツヤですね。
(両者は共に生番組なので収録日との誤差はありません。)
いったい5/28と6/1の間に何があったのでしょうか?

もちろん当時の聖子ちゃんは、すでにトップアイドルの座に昇りつめ、TVの歌番組やバラエティ番組(ラジオもね)を日に何本も掛け持ちするなど、忙しさのピークを迎えようとしていました。
おまけに、3カ月にいっぺんはレコーディング。アルバムを含めれば息次ぐ暇もなくレコーディングしていた感じです。睡眠時間が2~3時間という日も多かったとか。

でも、肉体疲労は別として、聖子ちゃんの声(声帯)はこの程度の酷使には耐えられる強靭さを持っていたように私は思います。
TV番組やレコーディングの殺人的なスケジュールに輪をかけて、聖子ちゃんの声の耐性を破ったのは、やはり度重なるコンサートだったのではないでしょうか。

先に上げた05/28と06/01の間のスケジュールを見ますと

・5/30(土)「'81 Spring Concert」厚木市文化会館
・5/31(日)「'81 Spring Concert」埼玉会館

このコンサート2レンチャンで声を涸らせてしまった、と考えるのが一番納得がいきます。もちろん、この2日間だけで声に異常をきたしたとは思いません。それまでの肉体疲労や、継続的な声の酷使の積み重ねでしょう。

ちょっと日にちを遡ってみます。

聖子ちゃん初の日本縦断コンサートと言える「'81 Spring Concert」は、1981/04/01~1981/07/05まで全国24会場で(30回以上?)開催されています。ちょうど「夏の扉」を歌っていた時期と重なりますね。例のパンチラで騒がれた「日比谷野音コンサート」もこの内の一つに勘定します。

 

▼ 1981/04/18 「日比谷野外音楽堂」コンサート


土日はほぼ連チャンですが、中にはこんな過酷な日程もあります。

 

・1981/4/06(月) 大阪厚生年金会館(昼の部)

・1981/4/06(月) 大阪厚生年金会館(夜の部)

・1981/4/07(火) 大阪厚生年金会館(昼の部)

・1981/4/07(火) 大阪厚生年金会館(夜の部)
あるいは
・1981/5/09 (土)  越ヶ谷サンシティホール (昼の部)
・1981/5/09 (土)  越ヶ谷サンシティホール (夜の部)
・1981/5/10 (日)  千葉県文化会館 (昼の部)    
・1981/5/10 (日)  千葉県文化会館 (夜の部)

 

ぎょえ~、昼夜2回公演の2レンチャンですよ。こんなのが何度も・・・

ついでにこの時期のセットリストを見てみましょう。
1.ロックンロール・ディドリーム
2.SQUALL
3.North Wind
4.スプーン一杯の朝
5.裸足の季節
6.さわやかメイクラヴ
7.アップ・サイド・ダウン
8.カモナ・マイ・ハウス
9.春咲小紅
10.ペガサスの朝
11.テネシーワルツ
12.ディドリーム・ビリーヴァー
13.あなたのすべて

14.ラヴ・アゲイン
15.クールギャング
16.Eighteen
17.What'd I Say
18.夏の扉
19.青い珊瑚礁
20.風は秋色
21.Only My Love
(アンコール)
22.チェリーブラッサム
23.夏の扉

この通り歌ったとすれば、2日間で計92曲歌ったことになります。アンコールが続けば1公演25曲は歌ったでしょう。すると2日で100曲!!
これは驚異的ですね。
わたしなんか、カラオケで興が乗って7~8曲歌ったらもう喉がガラガラですから・・・卑近な例ですいません^^;

でも、この頃の聖子ちゃんはこんな異常なスケジュールにもなんとか耐えていました。
上の越ヶ谷~千葉・昼夜2レンチャン公演の翌日(5/11)の聖子ちゃんを見てみましょう・・・この日は、昼間「レッツゴーヤング」の収録に出た後、「夜のヒットスタジオ」に出ていますね。

 

▼ 1981/05/17 放送 「夏の扉」

 

レッツヤンは原則月曜日にNHKホールで公開収録、次の日曜日に放送でしたので、たぶんこの動画が5/11に収録したものだと思います(違ってたらごめんなさい)。
この日は、「夏の扉」以外にもトシちゃんとの共演などで数曲歌っています。
コンサート4レンチャンの翌日とは思えない元気いっぱいの歌声ですね。
 

そして、「夜のヒットスタジオ」です。

 

 

そう、伝説のひよこ動画です。

このトークからすると、5/10の夜遅くコンサートから自宅に帰った聖子ちゃんは、クッキーを焼きます。おそらく材料とレシピはお母さんが用意していたでしょう。でも、砂糖の量を間違えてしまい、味のないクッキーが出来上がります^^;

それで次の朝、またクッキーを焼き直すわけですね。これで睡眠時間もずいぶん削られたことでしょう。

でも、Opからノリノリですね。まあ、郷ひろみくんもいたし・・・

そして、本チャン歌唱では歴史に残る超絶パフォーマンスを見せつけます。よ~く聴いてみると前半ちょっと喉が涸れている感じですが、そんなことはどうでもいいくらい最高のパフォーマンスです。

そうなんですよ。こんな殺人的なスケジュールでさえ、聖子ちゃんの強靭な声帯を壊すことはできなかったわけです。

でも、こうした異常な状況が繰り返されるにつれ、聖子ちゃんの喉にボディーブローのように効いていきます。そして、これが初めて表面化したのが6/1のトップテンだったということでしょう。

 

日付が前後してわかりにくいかな? 最初に上げた6/1のつづきです。

 

・1981/6/6(土) 青森市文化会館

・1981/6/7(日) 岩手県民会館(盛岡市)
 
そして、翌日(6/8)の「夜のヒットスタジオ」。
 

 

やはり、コンサート2連チャンの翌日は声の不調が顕著ですね。

この頃は、映画「野菊の墓」がクランクインしたこともあり、平日はスケジューリングされず、コンサートは専ら土日に集中しています。それで、コンサートの翌日の月曜日、「ザ・トップテン」や「夜のヒットスタジオ」で声の不調をみせることが多くなります。

 

・1981/6/13(土) 飯田文化会館

・1981/6/14(日) 刈谷市民会館

 

翌日(6/15)の「ザ・トップテン」

 

 

一方、木曜日収録の「ザ・ベストテン」では、(コンサートに関しては)数日の間隔があるためか、ちょっと持ち直すことが多かった。

 

▼ 1981/06/25 ザ・ベストテン 「夏の扉」

 

ちょっと声がザラザラした感じになっていますが、それほどの不調は感じられません。

でも、このベストテンでも声の不調が露呈する日がついにやってきます。

 

▼ 1981/07/09 ザ・ベストテン 「夏の扉」

 

もう声を出すのもしんどい感じですね。かわいそう^^;

ところで、この歌唱前の久米さんのコメントで、「聖子は歌わなくても声が涸れる。歌いすぎても声が涸れる」と言っています。

今までこの言葉を気にしたことはなかったんですが、今回、聖子ちゃんの時系列を見てきて、すごく気になり始めました。

 

実は、「'81 Spring Concert」は7/5で閉幕し、次の「Nice Summer Seiko」が始まる7/27までコンサートは休みなんです。

過密スケジュールのコンサートが終わり、やっと声を休めることができると思っていたところで、声が絶不調になったので、「歌わなくても声が涸れる」という言葉が出たんでしょう。

 

声のかすれや涸れの症状は、病院に行けば「急性喉頭炎」と診断されるでしょう。

声帯やその周囲の粘膜が炎症を起こしている状態です。これがひどくなると、炎症部の一部が角質化して「声帯結節」ができ始めるそうです。

ということは、声涸れが出始めて、これが重症化するまである程度のタイムラグがある、ということでしょう。つまり、コンサート→声が涸れるという直接の結果だけでなく、一定期間を置いて声が出なくなるという、二種類の症状があるのかもしれません。

まあ、医者でもないのに想像で語るのはやめておきましょう(今更ですが)。

 

さて、聖子ちゃんの声の不調がなかなか解消されない中、7/27から新たなコンサート・シリーズ「81 Nice Summer Seiko」が始まります。

 

 

ちょうど夏休みの期間だけあって、このコンサートの日程も過酷を極めています。

 

・1981/8/4(火) 旭川市民文化会館(昼の部)
・1981/8/4(火) 旭川市民文化会館(夜の部)
・1981/8/5(水) 釧路市厚生年金体育館
・1981/8/6(木) 札幌厚生年金会館(昼の部)
・1981/8/6(木) 札幌厚生年金会館(夜の部)

 

こんな感じです。

この夏のコンサートの様子は、レッツゴーヤングの特番「特集 聖子夏を行く」(1981/08/30放送)で一部見ることができます。奇しくも、聖子ちゃんの声の劣化を記録する番組になってしまいました。

 

 

声涸れはそれほど目立ちませんが、ボリュームや息の通り道(声帯を震わせる場所)を微調整しながら、かなり苦心して歌っているのがわかります。

そのせいか、高音がフラット気味です。実は、「夏の扉」は最高音がB(シ)の音で、初期の他の曲と比べれば音域が低いんですが、それでも高音に苦労しています。

 

そして、「風は秋色」と同じ最高音ハイD(レ)が登場する「ONLY MY LOVE」

聖子ちゃんは無謀にもこの曲に原キーで挑みます。

(残念ながらYouTubeではブロック対象のため、ニコニコ動画を上げます。)

 

 

なんという感動的な歌唱でしょうか!!

Bの音に苦しんでいる状況でハイDの音は出るわけがありません。

でも、聖子ちゃんは、自分の限界を力ずくで突破しようとするように、力をふりしぼって全力で立ち向かっています。これが聖子ちゃんです!

この歌唱は、ツヤツヤでパワフルな高音で鳴らした初期聖子の終焉を示すとともに、聖子さんの歴史の中でも最も感動的な絶唱となりました。

 

聖子ちゃんが途中でニヤッと笑うのが印象的です。

 やっぱりダメだったか。

 でも、わたしはこれでは終わらない・・・

 

では~パー

 

(追記)

文中で使った画像は「鹿田アルバム」さんから拝借しています。

また、同ブログの「Perfect Data File」にて当時の聖子さんのスケジュール等が一覧できますので、あわせてごらんください。