前から「しんどい」「心に来る」「主人公がひたすら地獄」みたいな感想を見かけて気になっていた宝石の国が、なんと最終話の直前まで無料で公開されていると聞いて読んでみました。

 前評判に対しては「言うほど地獄か?」という思いになってしまったのですが、作品そのものはとても読み応えがあって面白かったです。以下、ネタバレありで感想を書いていきます。

 

独特の世界観とスケール感

 舞台は人間がとっくの昔に滅んだ後の地球。序盤はそこで暮らす宝石生命体たちの生活が淡々と綴られます。性別不明な顔立ちや体つきのどこか神秘的な宝石たちが、武器や服を作ったりといった人間にも馴染み深い生き方をしている不思議。かと思えば黒点の発生と共に現れるのは宝石を攫う「月人」、神々しさと悍ましさを併せ持った外見の未知の敵。私達が生きている現在と地続きでありながらかけ離れていると感じられる絶妙なバランスで物事が配置されています。

 主人公は宝石たちの末っ子フォスフォフィライト、通称フォス。身体が砕けやすくて戦いに向かない上に何をやらせても上手くいかず役割が決まっていない状態ですが、本人は焦りこそありつつも能天気でお調子者。「先生」にねだってようやく博物誌の編纂という仕事をもらいますが、「地味でかっこよくない」と不満たらたらなのです。よくある主人公のパターンと違う、この子どうなっちゃうの……?とハラハラしました。

 

 少し話は飛びますが、中盤に差し掛かる頃から終盤に向けて驚くのが作中時間の過ぎ方です。主人公の意識がない間に百年単位で時間が流れ、それに伴って登場キャラクターの様子が様変わりしていくのです。前のページで活躍していたのと全然違うキャラクターが、それでも同じ名前で本人にとっては連続性のある時間の中を生きている。この独特のスケール感が新鮮でした。

 また、宝石たちは身体が欠けるとそれに伴って記憶も失ってしまい、作中で何度も大きく身体を欠いてしまうフォスはいくつもの記憶を失うことになります。それによってフォスの人生にはあまり連続性が感じられず、それが逆に作中世界の時間に無限に広がるような印象を持たせていると感じました。

 

健気なようでいてわりと利己的な主人公

 フォスは最初、「孤独な夜の見回りという役割に押し込められているシンシャにもっと楽しい仕事を見つける」という動機で行動します。未熟で不完全だけど誰かのために行動せずにはいられない、とても「主人公らしい」行いです。

 けれど、その過程で足と共に記憶を大きく欠き、新しく強い足を手に入れれば戦いで役に立つことを求め、戦いの過程で先生と月人の間に何か繋がりがあるようだと気付けばその謎の解明に熱中し……とフォスの興味の中心はみるみるうちに移り変わっていきます。そして、最初は助けたい、喜ばせたいと思っていたシンシャのことも「自分の目的のために必要な人材」と見做すようになっていくのです。

 

 中盤以降、「先生」が人間に作られた機械であり月人の目的がその機械を起動させることで、宝石を攫っていたのは「先生」に揺さぶりをかけるための手段でしかなかったと知ったフォスは「先生の心を揺さぶるために宝石の中から『自分の意思で月に行く裏切者』を出す」という作戦を立てます。そして、自分が宝石たちに提示できるメリットを考え、心を動かせそうな相手を見繕って巧みに誘い出すのです。

 動機はあくまで月人が宝石を攫うのをやめさせるため、根本的には仲間のためです。ですがその手段は宝石たちを自分の都合にあわせて選別し利用するもので、地上に残った宝石たちは「フォスフォフィライトは仲間じゃない」「卑怯者だ」と激昂します。

 

 その後もフォスはあくまで「先生」の起動にこだわり、方法を考えては半ば強引に実行していきます。月に渡った宝石たちが月での暮らしに馴染んで新しい幸せを見つけても、地上に残った宝石たちが「先生」と新しい関係を築いてそれに納得しても、フォスだけが止まらないのです。

 月人のリーダーであるエクメアとの契約だから? 月人たちの望みを叶えなければ根本的な解決にならないから? 少なくとも描写されている範囲では、フォスはそこまで考えていません。ただ「自分はなんとしてでも先生を動かさなければいけない」という呪いのような衝動に突き動かされているだけです。そして、そのために必要な戦力としてまたしても仲間を利用しようとするのです。

 

 フォス自身は、その行動を「みんなのため」と主張します。けれど、周囲の宝石たちの目にはそうは映りません。周りの心情を無視して自分が思う正しさに向かって突き進むフォスに、月の宝石たちからは「僕たちのせいにするな」、地上の宝石たちからは「みんなって月人のことか」と厳しい言葉が投げかけられます。

 最初は確かに仲間のための行動だったかもしれない。けれど、情報の共有を怠り認識の擦り合わせを怠り、一人で突っ走るフォスは客観的に見ればとても利己的な一面を持っているのです。

 

 そして、終盤でフォスは「みんなに愛されようとした」「自分が何を望んでいるのかわかっていなかった」という気付きを得ます。ここから想像できることとして、フォスは「みんなを助けたすごいフォス」になりたかったのではないでしょうか。月に乗り込んで月人と交渉し、真実を知って、誰も思いつかなかったやり方で見事宝石たちを助けてみせた自慢の末っ子。ずっと役立たずだったフォスにとって、それはどれほど甘美な夢想だったでしょう。

 けれどフォスは自分の根底にある承認欲求の根深さに気付かなかった。あくまでみんなのためだと信じて疑わないまま行動してしまった。そこにフォスが掲げる目標と実際の行動のギャップがあるのではないかと思います。

 

エクメアとカンゴーム

 事前に目にした感想の中でかなり否定的に語られていたのがこの二人でした。「気持ち悪い」「嫌い」といった意見が多く、どれほどの事をするのかとドキドキしながら読んだのですが……別にこれといって嫌なところはなく、むしろこの二人の関係は結構好きです。

 もちろん、性を感じさせないキャラクターがほとんどの中で恋愛や肉体関係があるのが気持ち悪いという意見についてはそういう人もいるよね、と納得しています。そういう方にはご愁傷さまでしたとしか言いようがない。

 

 けれどそれ以外の部分に関しては、「規範や期待に縛られていたキャラクターが運命の出会いをして自分らしく生き始める」という王道の展開に宝石のつくりや月の技術の設定を絡めた上手い物語だったと思います。後から振り返ると望みを自覚して叶えているカンゴームと望みを自覚せず暴走しているフォスの対比も見事でいっそ清々しい。

 そもそもカンゴームは最初からフォスへの当たりが強く、あくまで「ゴーストが守れと言ったから」フォスを守っているだけのキャラクターだと描写されていました。だから本当はフォスのお守りなんてしたくなかったのも当然だと思うし、むしろ「遺言だから従ってたんじゃなくて行動を強制されてたのか……!」とゴーストの方に恐ろしさを感じました。自由になりたいと泣き叫びながら地面を掻いて抵抗するカンゴームを引きずって退出させようとするシーンなんて怖すぎて、解放されて良かったね以外の言葉が浮かびません。

 

 他のキャラクターには他のキャラクターの生き方、考え方、幸せがあって、彼らは決して「主人公のための人材」ではない。この二人がそれを象徴する際立ったキャラクターなだけで、宝石の国にはずっとそういったメッセージがあったように感じます。

 

悟りと幸せ

 自分の望みを自覚していた宝石たちはそれぞれの心に折り合いをつけ、月人になって終わりの時を待ちます。「自分が役割を果たさないせいで愛するものが攫われるが、役割を果たせば愛するものは消える」という手詰まりの状態にいた「先生」も、追い詰められたフォスの命令によって自壊して役割を手放すことができ、終わりを待つ存在に加わりました。

 一方でフォスは先生の記憶と役割を引き継ぎ、一万年かけてそれを自分に馴染ませます。その一万年の間に月人となった宝石たちは再会を喜び合い、最後の時間を穏やかに過ごすのです。

 

 フォスを顧みない元宝石たちは薄情でしょうか? フォスを転がしてこの結末を引き寄せたエクメアは冷酷でしょうか?

 私は、この展開は因果応報だと思います。仲間の心を顧みなかったことが返ってきただけ、仲間の忠告を無視した結果が実っただけ。序盤からずっと「フォスが何かすると周囲が消耗する」と描かれていて、にもかかわらず反省することなく規模を拡大し続けた結果がこれです。どうしてフォスが無辜の被害者だと言えるでしょうか。

 

 一万年を経て、引き継ぎを終えたフォスは心から終わりを願って祈ります。そして全てが終わった後でようやく自分の望みに気付くのです。おそらくこの時初めて、フォスはきちんと自分の心と向き合います。

 そのさらに後、フォスは鉱石生命体と出会います。小さくて無垢で穏やかで、喜びと愛に溢れた生命体。おそらく「先生」が初めて宝石生命体と出会った時にも同じ感動を覚えたのではないでしょうか。フォスは鉱石たちを慈しみ、自分の中に宿る「人間」が彼らの幸せを壊してしまうことを恐れるようになります。

 

 鉱石たちの幸せな社会を守りたい。今度こそ心からそう願ったフォスに、鉱石たちと「先生」の兄機が応えます。フォスの中にある「人間のいないところ」を連れて、鉱石と機械の、人間に汚染されていない社会を一緒に。それはきっと、かつてのフォスが望んだ愛と現在のフォスが望んだ安寧、どちらも叶える最高の一手だったのではないでしょうか。

 

キャラクターをどう捉えるか

 この作品は、キャラクターをどういう存在と見做すか、何を期待するかで印象が大きく変わるだろうと感じました。

 例えば私は「フォスは最後に自分の望みに気付き、さらにその望みを叶えることもできて幸せだ」と思いますが、「あんな外見も話し方も変わってしまったモノはフォスとは言えない、主人公が自我を失うなんて最悪だ」と感じる人がいてもおかしくないだろうとも思います。他のキャラクターも長い年月の中で外見や価値観が大きく変わっていくので、キャラクターに強い一貫性を求める人には肌に合わない可能性が高いのではないでしょうか。

 

 また、「主人公」にどのくらい価値を置くかによってもキャラクター評価が大きく変わってきそうです。検索して出てきた感想では「主人公のしたことがキャラクターからどのくらい好意的に受け止められるか」「主人公の味方キャラクターがどのくらい献身してくれるか」をかなり重視したものが多く、主人公ってそんなにエライのか……?と戸惑いを感じました。

 むしろ主人公を特別扱いせずあくまで社会の一員として描くところにこの作品の魅力があり、その中で各キャラクターが自分の望みや理想の終わり方としっかり向き合うからこそ終末的でありながら充足感があるのだと思います。主人公であることは他人の望みや理想を捻じ曲げる免罪符にはならないのです。

 

おわりに

 これだけ語っておいて最終話で全部ひっくり返されてたらどうしよう……!と若干の不安はあります。構成も展開も私にはとても思いつかない、決して真似できないと感じるので最後に何が起きてもおかしくないです。

 また、私の見落としでなければ月人になった宝石たちの「フォスのためにできること」がまだ描かれていないように思うので、最終話でそれをどう回収してくるのか気になります。最終巻だけ買うか全部買うか悩んでいます。

 

 それでは、長文にお付き合いいただきありがとうございました!