本日は仙台市宮城野区岩切羽黒前付近にある化粧坂城跡へ行って来ました。

JR東北本線岩切駅より徒歩15分程の場所にあります。

利府街道を利府町方面に向かって行きますと羽黒前と言う町名があります。

大体その近辺が化粧坂城があったとされる場所になります。

史料仙台領内古城・館の古書によると東西110m南北200m程の低い丘陵とあります。

現在は宅地造成により遺構はほぼ無くなり主郭だったとされている場所から南側に段曲輪があったとされます。

唯一の遺構として段曲輪の二段目の土塁の一部が残っています。段曲輪の二段目にあったとされる羽黒神社跡が小さな社として残っています。
羽黒神社跡の小社の説明板に化粧坂城の記述もありこの説明板が化粧坂城跡を示してくれます。

城形態としては唯一の遺構である段曲輪土塁跡の高さを考えれば平山城になるかと考えられます。

築城者や年代は古書等によって様々で留守氏の祖である伊澤家景とも留守氏18代当主政景ともあり定かではないと言った所です。岩切地区近辺は留守氏の所領だったので築城者は留守氏に関連する人物と考えられます。

化粧坂城は留守氏の本城である岩切城の支城と考えられます。18代当主留守政景が本城を利府城に移した時に岩切城と共に廃城となった可能性が高いと考えられます。

尚、化粧坂の地名の由来は坂上田村麻呂の奈良時代~平安時代前期に遡ります。
坂上田村麻呂が奥州追討の際に寵愛した安名玉姫が坂を登りつめた所にある鏡ヶ池で化粧をした事に由来しています。鏡ヶ池は現在はありません。

化粧坂城跡に行って感じた事は僅かに残った遺構を保存して後世に伝えたいです。
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化粧坂城段曲輪の二段目にあった羽黒神社跡小社
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化粧坂城跡の記述がある説明板
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唯一の遺構である化粧坂城の段曲輪土塁跡